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∞∞ダム日記3(ダムに対する誤解)∞∞

2月18日
私たちが持っている「ダム」に対する誤解

大きく分けて、二つあります。
その二つを順を追って、説明したいと思います。

高度成長時代、ダムは必要でした。
考えてみれば、「電気」と「水」は高度成長の象徴のようなものです。
その二つをまかなう「ダム」は国の成長の指針でもあったわけです。
それは「必要悪」として容認されなければならないものでした。私たちの国
が発展を遂げたのは、確かに、その「必要悪」を通してでしたから、現代の
快適な生活を享受する者は、そのことを反省と共に潔く認めなければなりま
せん。

冷蔵庫が普及し、洗濯機が普及し、テレビが普及しました。今までになかっ
た電気製品を我々は使うようになりました。それによって、「電気」の需要
は跳ね上がりました。ですから、電力を生みだす「ダムは必要悪」でした。
私たちは、そのイメージを未だに持ち続けています。

しかし、それはどうでしょう。

東京電力の資料を見れば、昭和40年と昭和50年の年間最大3日平均の電力を
比べると、前者808万kW、後者2210万kW。倍以上の伸びです。

その頃の行政者が「電力が足りなくなる」と考えたのは無理もありません。
慌てて「もっとダムを作って供給可能電力を増やさなければ大変なことにな
る。国の成長が止ってしまう」と考えたであろうことは火を見るより明らか
です。

私が「ダムを造らないで欲しい」と応援している木頭村にダムの建設計画が
持ち上がったのも、そんな時代のことでした。昭和47年6月7日、国から村に
対し、ダム建設計画への協力要請が出ました。
たしかに、同じ速度で、同じ種類の経済発展が続けば、この時、計画された
ダムは「必要悪」であると片付けられても仕方がなかったかもしれません。

次に水のことを見てみましょう。
国土庁による「都市用水の動向と国の水需要予測(全国)」によれば(今手
元にある折れ線グラフをお見せできないのが残念ですが)、都市用水(工業
用水と水道用水)の使用実績の数値は1978年で1日平均7190万m3。

さて、このころ長期水需給計画が立てられました。その予想の立て方たるや、
私たちが小学校で習った折れ線グラフの応用編そっくりです。仕方がありま
せん。何事も基本が大事です。

実際に数字を上げてみましょう。
昭和41年の4860万m3と昭和48年の7190万m3の線を結んで、その延長線上に199
0年(17年後)13100万m3という予想値がはじき出されています。そのグラフ
の角度で言うなら45度。大変な伸びです。

しかし、実績の折れ線グラフは、横這いで、1992年の実績で未だに7930万m3。
分度器がないので正確に言えませんが、せいぜい3度から5度の伸びです。
昭和40年台に急激に水需要が伸びたのは、洗濯機の普及と重工業の発展があ
ったからで、その二つはとっくに頭打ちとなりました。

大きく予想と実績がずれてきたのを知って、1987年10月、国土庁は新たに全
国総合水資源計画 ウォータープラン2000を立てました。

めまぐるしく変化する経済、環境、情報に取り囲まれてる現代において、ハ
イテク国家ニッポンの政府資料で、実にこれが「最新」(今1995年ですよ。7
年も前の計画です)のものであるということが、信じられないのですが、そ
れはさておき。

もう、ここまで来れば予想のつく方もいるかもしれませんが、その1987年の
計画段階で、またしても国土庁は算数の基礎を守ったのです。「折れ線グラ
フの真ん中辺に線を引いてみるといい」という奴です。その計画によって200
0年の都市用水需要予想値は11030万m3になっています。

ところが、例外である昭和40年代の45度の線を臨機応変に切り捨てて見ると、
あら不思議、2000年の予想は8500万m3止りです。算数のテストならこれはペ
ケになるかもしれませんが、現実の世界では、こちらの答えの方が現実的で
す。

しかし、政府という巨大組織の中においては、こうした現実とのズレが生じ
ても、すぐに方向転換をして賢い現実的な選択ができません。相変らず、古
い数値を元に、ダムが必要だと言うのです。
「必要悪」のトリック。
せっかく集めたデータも、多角的な分析をするのでなければ生きてきません。
古いデータが必要だと言っているからと言って、それを現実に照らし合わせ
てみなければなりません。建設省が必要だと言う根拠のひとつは、こうした
非現実的なデータ分析が元になっているのです。そこを変えなくてはなりま
せん。

賢いデータ収拾、分析を行ったあとで、どうしても必要だというなら、納得
もするでしょう。
しかし、今ある古いデータで納得しろ、我慢しろというのは、開かれた近代
国家にあるまじきことです。

「必要悪だったものが、今は不必要悪になっている」
先日、米国開墾局総裁との対話において、長良川河口堰に反対する天野礼子
さんが言った言葉です。
その「不必要悪」をとめることができるのは、私たちの「意志」の問題です。

次回は、「ダム」に対して私たちが持っているもう一つの誤解について話を
したいと思います。今日も長い話に付き合ってくださって有難う。