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ダム日記3(ダムに対する誤解)←  1995年 2月 19日  →ダム日記5(本当の川)

∞∞ダム日記4(不信の元)∞∞

2月19日

ダムに対して持っている私たちの誤解の二番目をお話しする前に、これまで
の所を整理してみましょう。

建設省が、一般に、ダム建設が必要だと唱えるとき、その根拠になっている
のは、各省庁がはじく数字であり、その数字により、国を機能させるには、
どうすればいいかという判断が行われるわけです。その元の数字が正しい
(または新しい)ものであるかどうか、その数字の読み方が正しいかどうか、
そうした議論は行われていません。

その判断は非常に難しいものに違いはありません。
判断の基準として、要らないものは作らない、無駄に環境を壊してはならな
い、公共性とともに個人の安寧も気遣わなくてはならない、という現代まさ
に必要な観点の上に、税金を預かる国家としては、経済性、効率、発展、開
発、そして賢い税金の使い方といった従来の観点にも考慮しなければならな
い筈です。そして、あらゆる犠牲を払う上で尚、必要であると判断をした場
合、「何故、必要か」という説明、そしてそのために生じる利点と共に、欠
点(悪影響)をすべて明らかにするべきだと思うのです。全国民に対しては
勿論、ダム建設地の住民に対してはなおさらです。

これは今後、環境保全に対する国民の意識をあげていくためにも、必要な手
続きです。それだけでなく、行う事業が住民の生活、人生全般にどれだけ影
響を与えるのか(例えば、ダムができれば観光客が訪れて村の経済が活性化
する、などのこれまで建設省が吹き込んできた夢物語に対し、実際は、洪水
に備える水を貯めないダムであって観光客など来ない、工事にかかった期間
山の手入れを怠って山が荒れる、村から人が出ていって過疎化が進むなどと
いう厳しい現実がある)、その説明がなされなければなりません。建設省は
これまでのダム建設の歴史から、その経験と情報と知識を持っています。

ところが、いざ、ダムが必要な理由の説明、となると、先日の「川と開発を
考える」フォーラム(ダム日記2参照)で見られたような、そんな晴れの舞台、
ダムが必要であることが市民に公に説明できる場において、開口一番、「ア
メリカのフーバーダム一個の容量400億Gに比べて、日本のダムは2500個合わ
せても、その半分だから遅れている、まだ足りない、もっと造らなくては行
けない」という理論とも言えない理由を掲げて、ダム反対派に、応戦するの
です。少なくとも先日はそうでした、と一歩譲って申し上げましょう。

今、多くの環境団体は、そのハシリに見られた失敗「ただ環境を守れと叫ぶ
だけの態度」から大きく成長して、「環境を壊すのが国のために必要なら仕
方ないかもしれません。しかし、その必要だという根拠を、数字を上げて、
細かに、私たちにも分かるように説明してください。私たちが納得するまで
どうか公平な話し合いの場をもってください」という態度、姿勢を学習して
きました。

その変化に建設省は応える時が来ていると思います。
本流にダムのかかっていない川は、日本に、あと2本しかない。
「その一つが長良川です」(天野礼子)。

日本全国の川という川にダムをかけまくって、自然の川を失してしまった。
手元にダムの場所を示す日本全国の地図がありますが、まぁ、2500個という
のは凄い数です。都道府県の数で割って、一県につき53個。自分の県に、何
本川があると思います? 一本の川あたり何個のダムがあると思いますか?
大きな川はもう何個も何個もダムをかけられて分断され、私の応援する木頭
村に流れる徳島第二の長流である那賀川も、すでに3つのダムで青息吐息、
しかもそのひとつは、同じ木頭村の入り口にかかっているのです。そして今
度造ろうと建設省がしているのは、村の中心部。

一体どうしてそんなに必要なのでしょう。素朴な疑問です。
地元住民や環境保護を唱える人が知りたがっているのは、今、十歩も百歩も
譲って、素朴な、そういう質問なのです。

その裏には、残っている限りある自然はできるだけ残さなくてはならない、
これ以上手を付けてはならない、という危機感がフツフツと煮えたぎってお
り、正当な解答をよこさない建設省に対して、不信感、不満が募っていくの
です。