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3月7日

長野で行われた「川を考えるシンポジウム」に行ってきたので、そのことを
報告したいのですが、その中で、2月に開かれた「川と開発を考えるシンポ
ジウム」での講演者、米国開墾局総裁のダニエル・ビアード氏の主張が紹介
されたので、そのことから今日は書きたいと思います。

ビアード氏の主張を紹介したのは、「週刊金曜日」の編集長、本多勝一氏。
知る人ぞ知る「朝日ジャーナル」を支えていた記者。「川と開発を考えるシ
ンポジウム」の取材にもいらっしゃっていた様子で、ビアード氏による<<
アメリカがダム建設をやめたわけ>>を簡単に説明されました。

【アメリカがダム建設をやめたわけ】
1、コストがかかり過ぎる
2、環境への負荷が大き過ぎる
3、時代の変遷と共に、代替プランにより水の確保ができるようになった
4、環境、文化を守るという納税者の声が大きくなった

「これとまったく同じことが日本にも言える」曰く本多氏。

ここで、私の思うことを補足します。
二つのシンポジウムに出席し、関係者の方々の思いもかけないご好意と縁で、
シンポの後の対談や集まりに顏(-_-)を出させていただき、思ったことなので
すが。。。

「関係者の意識」と「一般人の意識」は大きくズレているということです。

私は、自分が持っているくらいの問題意識を持っている人はザラにいる、と
軽い気持ちで木頭村の応援を始めたわけですが、2/28の「あたふた談」で少
しお話したように、普通の人々の中には、遥か彼方、大昔、高度成長期時代
の日本の頃にしか通用しなかった意識の持ち方をしていらっしゃる人が、ま
だゴロゴロいらっしゃる。

同時に、問題意識を持つ人は「類は友を呼ぶ」ですぐに集まって話を始めて
しまうので、日本全国みんなが、そういう意識を持っているという錯覚に陥
ってしまう。ジャーナリストともなるとますますそうでしょう。「そういう」
人の所へ行って、「そういう」話をする。その内輪の「そういう」意識で盛
り上がる。

これは問題です。
この錯覚が起きると、まるで日本全国、皆から環境保護の声が上がっていて、
行動しないのはお上(国)だけ、という意識でお上だけに腹が立ってくるの
ですが、実はそうではない。

私は社会の縁(へり)の方から、「さっき始めました」っていうような人間
ですから、今なら、よく分かります。この意識を忘れないように、今、この
ことを書いておかなくては、と思って書くのですが、日本で環境問題と取り
組んでいる人は、完全に世間を取り残しています。
建設省と戦うのもいい。体制に刃向かうのもいい。でも、世間を取り残して
いる。世間はついてきてない。振り返ったら独りぼっちの状態です。

恐ろしいことだけれども、これだけ情報があるにも関わらず、そして同じだ
け情報を受け取っているかのように見えて、実は、そうではないようなので
す。私はそういう事実に日々頭をガンガン殴られています。

【日本版の1、2、3、4】
1、コストがかかり過ぎる→
自分の税金の使われ方に文句を言うべきだ、言える、と考えている人間が日
本にはほとんどいない。

2、環境的負荷が大きすぎる→
「人間が生きていればどうしたって環境破壊が起こる」と変に潔いよい人が
日本には沢山います。問題のすり替えが起きる。いかに最小限に破壊をとど
めるかという建設的議論が進みにくい。

3、時代の変遷と共に、ダムの代替プランにより水の確保ができるようにな
った→
これは明らかなことなのに、新しい方向を打ち出さない。方向転換の努力を
しない。甘い汁を吸ったまま、ダムという「金のなる木」を離そうとしない。
その批判をマスコミに任して、自分は関係ないと思っている人がほとんど。

4、環境、文化を守るという納税者の声が大きくなった→
日本版1、2、3からの当然の帰結、日本でこういう声を上げるのは少数。
そしてその少数は正しいことを言っているのに、少数であるという理由だけ
で、踏みにじられる。踏みにじられると、あ、やっぱり、間違っているのね、
やっぱり、変わらないわねと、諦めてしまうのが日本人。

長くなってきたので、残りはまた明日。

最後に椎名誠さんの言葉から
「川を考えるってテーマですけど、難しくってできないことだと思うんです
よ。だって川を考えるには山を考えなきゃいけない。海を考えなきゃいけな
い。みーんな、なんですよ。みんなつながってる。みんな考えなきゃいけな
い。つまり日本人の頭のことなんです。ね、そうでしょ」