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∞∞ダム日記51(楽しい参考書)∞∞

5月28日(日)
久しぶりに図書館へ行った。真っ先に行くのは雑誌のコーナーで、「OUTDOOR」
と「BePAL」、「本の雑誌」を開く。カヌーイストの野田知佑さんの連載だけ
を読むのだ。この日記を50回も書いていて一度も書かなかったけれど、応援
する木頭村のダム問題のことを知ったのは野田さんのエッセイが最初だ。二
度目に木頭村長自らの訴えを新聞で読み、立ち上がった(というほどでもな
いか(^_^;)エラソ〜に....)。

恩返し、というか、順ぐり、というか、野田さんから伝わったもの(きれい
な川をぶちこわしていく国に生まれ、暮らし、死んでいくことの悔しさみた
いなもの)を今度は私の方法で伝えなくてはと思ったのだ。

人にはそれぞれ接点があり、出会いがある。どんなにいいものがあっても、
人がいても、ほんの少しの「縁」でそれを知ることができたり、できなかっ
たりする。

私は野田さんの書き物に出会ったことが「きっかけ」で、人生が変わりつつ
ある。しかし、世の中に野田さんの書き物を知らない人もいる。
パソ通をやっている人の何人かでもダム問題に気づいてくれれば、その中の
何人かがまた別の方法で想いを継いでくれるかもしれない。そんな祈りがあ
る。

さて、長野にシンポジウムに行った時、奇跡、とも言える縁で、椎名誠さん
と直接お話しできる機会が出現した。椎名さんは野田さんを師匠と仰いでい
るので、私は狂喜乱舞してイソイソと近づき、そのパーティに呼んでくださ
った方に読んでもらうつもりで持っていたダム日記のプリントアウトを渡し
て言った。
「これ、ダム日記と言います。徳島の木頭村を応援するための日記で、パソ
コン通信上でやっています。野田さんに影響を受けたのがきっかけなんです。
そういう人間がいるってこと、野田さんにどうかお伝えください。感謝して
いるんです」

椎名さんがそれを覚えていて伝えてくださったかどうかは分からない。椎名
さんは「はい」と言って、肉をガシガシ食べ続けていた。

それから相模大堰のキャンプインシンポジウムでは、主催者たちと既知にな
っていたので、もしかすると野田さんとも直接お話する機会があるかな?と
期待していた。

しかし、このダム日記を始めて以来、問題の底辺が拡散し、その日はテント
を担いでゴミ問題のシンポジウムに出席し、夕方に終わって駆け付けると、
ちょうどトークタイムが終わった所で、「あ、野田さんだ」と思った途端に
帰ってしまわれた。ひどくガッカリしたが、首からオカリナを下げた河口堰
ファイターと家族でツーリングカヌーを楽しんでいる格好いいお父ちゃんカ
ヌーイストと我が相棒と4人で夜更けまで話をしたので、すぐにガッカリ感
は薄れた。

まだまだ、師匠に対面するには修業が足りない、そう納得したのは次の日の
朝だ。

宮ケ瀬ダムと相模大堰が別物であることにやっと気づいたのだ。
唖然、愕然。膝からガクっと倒れてしまいそうなくらいショックだった。
初めて出席したこのグループのミニ・シンポで、「宮ケ瀬の地震問題」と
「相模の訴訟」の報告が両方一度にあったので、同一物と勘違いし、この時
から両方の現場を見るまで混同していたのだ。

このグループ「相模川キャンプインシンポジウム」は凄い。二つのダム問題
を同時にかかえているのだ。この素人集団が、物凄い資料に取り付き、行政
担当者の首をギューギュー締め上げて、やっと爪の先ほどの情報を吐かせ、
専門家を呼び、みずからフィールドワークをし、科学的データを作成し、勉
強会を開き、「人寄せパンダで構わない」と言って出てきてくれる野田さん
に敬意を払い、参加者のために水を運び、コンサートを開き、と何の得にも
ならないこと(県が押し切って計画を進めてしまえば、水の泡になること)
を毎週、毎日のごとくやってニコニコ楽しんで皆笑顔がとてもいい。かけが
えのない先輩達だ。

二度ばかりニア・ミスのある野田師匠の書き物に話を戻すが、最近は彼の本
領である「遊び」の話が中心で、無名戦士達の汗に比べると、少し冷めてい
る気がして、ここ数回は斜め読みをして、さっさと建設/土木のコーナーへ
行ってダム事業の本を漁ることにしていた。

と、ところがである。
いつの間にか、師匠は戦士の激しさを盛り返していた。6月号の「ビーパル」
野田知佑の「のんびり行こうぜ」は、吉野川での可動堰建設計画における建
設省のたくらみを暴露している。本屋さんへ行ってビーパルを見てください。
売り切れならOUTDOORと本の雑誌も同様、師匠の戦士の叫びが聞こえます。

江戸時代に建てられた吉野川第十堰のままで充分だ、新しい可動堰なんかい
らない、と頑張って運動をしている徳島のGさんは、ダムファイター歴5年。
木頭村長が送ったFAX版ダム日記を読んで、お手紙をくださって以来、電話を
したり、FAXをしたり、大切なお友達だ(というには失礼なほどの大先輩)。

先日来た村長からの手紙には、「広島から新聞を読んで手紙をよこした中学
生の女の子に、ダム日記を送ってやりました」とある。私の心は熱くほてり、
どんな失敗や大きな勘違いを重ねようと、尽き進むことからやってくる溢れ
んばかりの「縁」の贈り物に感謝するのだ。