TOP 1-100 101 - 200 201 - 300 301 - 400 401 - 500
ダム日記100(^○^)←  1995年 10月 15日  →ダム日記102(緊急速報!)

∞∞ダム日記101(NAVIと握手)∞∞

10月15日(日)

【NAVI(ナビ)という雑誌】
自分の目の前に現われる現代日本の社会の歪みを次々と、しかし長期間の取材を
して書き続けているライター矢貫隆さんは、車雑誌NAVIの10月号から「ガロの住
む村」(木頭村のこと)を連載している。彼の噂を最初に聞いたのは木頭村。

木頭村には、一個所、交通事故の多発地帯がある。それは高知県との県境を持つ
木頭村の、国道195号線上にある。そこは、ダム水没予定地であるから、道路を
整備すると二重投資になるという理由で、国道でありながら1車線。当たり前に
整備してある高知県側から入って、急に狭くなる所で事故が集中して起きている。
木頭村は、建設省に対し、何度もこの道路を整備するよう陳情している。
にも関わらず、上記の理由で、20余年もの間、放置され、その間、事故はどんど
ん起きている。一見もっともな理由だが、ダムに反対している木頭村にしてみれ
ば、絶対作らせないと自分達が言っている「要らない」「欲しくない」ダムのた
めに、「必要な」「人命に関わる」道路を作らせないというのは、まるで、「道
路が欲しいならダムを作らせろ」もっと誇張していうなら「命が惜しければ、ダ
ムを作らせろ」と言われているのと同じなのだ。
96%までを国の補助金に頼らないければならない「弱小自治体」への弱い者いじ
めだ。
被害妄想だというなら言えばいい。
しかし、こうした例は、一端、「ダム反対」の闘いを諦めてしまった岡山の苫田
ダムでも見られたことなのだ。二度あることは三度ある。弱小自治体はこうして
息の根を止められ、死んでいくので、その声を私達は聞くことがなかった。

しかし、もうそうはいかない。苫田は死なないし、木頭村も生き残る。
「体制」に押し潰されてきた個人でも自治体でも、小さくても情報発信ができる
時代になったからだ。パソコン通信はそのために活用できる。

「体制」であった建設省は涼しい顔をして、何事もなかったかのように、同じ手
を繰り替えそうとしているだろう。彼らはそれを合理主義と呼ぶだろう。地域振
興と呼ぶだろう。彼らには罪の意識がない。想像力がないのだ。いじめているこ
とに気づかないのだ。いじめる側といじめられる側。いじめる側にはいつも「想
像力」という優しさの源がない。

しかし、「いじめる側」の想像力の欠如によって「いじめ」られ続ける時代は終
わった。何故なら、いやがおうでも、「いじめる側」は「いじめられる弱者」の
声を聞くことになるからだ。パソコン通信を活用しよう。強い者の味方しかでき
なかったマスメディアを揺さぶろう。弱い者も独自のメディアを持てる時代がき
た。多くを地道に分かりやすい言葉で伝えよう。

鎌倉の竹内市長と矢貫さんと、プロとしてマスメディアに関わってきた/いる人
から、パソコン通信で木頭村を応援をすることについて、質問されることによっ
て逆に、そういうことが自覚できた。弱い者は団結して、しかし四方八方から闘
おう。
体制に小さな風穴をあけつづけよう。

そして「体制」は初めて気づくのだ。自分達が「いじめ」ていたことを。いじめ
ていたんなんて想像だにしなかったことを。

私達は、それすらも想像して、彼らを許す気持ちを育てていこう。いじめ返すこ
とが目的ではない。魔女狩りをしたいわけではない。敵を作りたいわけでも、攻
撃したいわけでもない。相手が自分の「いじめ」に気づいたら、その時は優しい
握手を交わそう。

まさのあつこ

追記 for【ガロ】:話がづれたけど、195号線が矢貫さんの切り口の一つ(11月
号)、と書きたかったのだ。矢貫さんのもう一つ別の切り口で「ガロ」(10月号)
というのがある。木頭村に残る伝説の生き物の名前だ。カッパのようでカッパで
ない。様々な民話の残る木頭村で、文献に残っていない、けれど村民の記憶には
しっかり残っているそんな生き物だそうだ。
好奇心の強い矢貫さんが、「ガロ」の話を聞き回っているうちに「ガロ王国を作
ろう会」が木頭村図書館スタッフ宗石さんという方達の間にできたそうだ。
第一回の会合を木頭村の飲み屋でやったら、「酒が入って」「いきなり皆ガロに
なってしまった」そうだ。矢貫さんと木頭村。楽しみな動きが生まれてきた。