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∞∞ダム日記112(感謝1)∞∞

11月6日(月)

紅葉サイクリング「木頭村へ行こう!」を終えて、帰り道、「感謝」と「反省」
の波に見舞われながら帰ってきました。

ご協力くださった皆様の紹介をさせてください。
それで、このイベントがどんなものだったか(どんな効果があったか、どんなご
迷惑を誰にかけたか)をご報告できると思うのです。
見た目ではたった30人(コンサートに駆け付けてくださった木頭村の方を入れる
と約200人)が参加したイベントにどれだけの人の協力がなくては成り立たなかっ
たか、細かすぎるとお思いになるかもしれませんが、どうぞ書かせてください。

【森口さん】
吉野川シンポジウム実行委員会の縁の下の力持ち。ダム日記を始めて以来、精神
的にサポートしてくださっている方。今回はカンパまで寄せてくださり、自腹を
切って駆け付けてくれた仲間のことくを考え合わせ、受け取ってしまいましたが、
心苦しいばかりです。11月3日朝、徳島駅に出迎えてくださいました。「僕は
これから長良川に行くけど頑張って」と。(11月3〜5日行なわれた長良川監視DA
Yでは、2400人が集まって河口堰運用中止を訴えました。)知る人ぞ知る。ダム
/堰の問題で闘っている人は、日本全国皆で、精神的、経済的にサポートしあっ
ています。

【内田さん】
「木頭村おじゃまします」コンサートのチラシをコピーして、10/22阿南市で行
なわれた「ガロと遊ぼう!那賀川エコツーリング」で配ってくださり、やはり、
徳島駅前で「用事があって行けないけど頑張ってね」と出迎え/見送りに駆け付
けけくださいました。「那賀川最後の清流を守れ!細川内ダム建設に反対する徳
島市民の会」事務局長。お忙しい所有難うございましたm(_ _)m。

【雑誌サイクルスポーツを読んで、問い合わせてくださった方々】
今回、雑誌「サイクルスポーツ」などに載せてサイクリストを募ってみたのは、
木頭村を応援してくださる新たなる分野、新たなる世代、新たなる助けっ人を開
拓できないかという狙いもあったのですが、愛媛、福井(3人家族)、徳島名西
郡、計3件の問い合わせをいただきました。楽観的計算で、問い合わせをしない
までも、関心を持ってくれた方は、100〜300人はいらっしゃっただろうと、見て
います。有難うございます。
愛媛の方は「3人で参加します」と前日に電話をくださって現われなかった方、
ご無事だといいけれど。。。

【サポートに徹してくださった、北野さんという奇跡の人】
「なんせね、このイベントを知ったのは10日前だったんですよ」
東京で月一回行なわれる堂本暁子議員主催の「森の会」で、「木頭村応援のサイ
クリングをするので、徳島に知り合いがいたら誘ってくださ〜い」と一言宣伝さ
せてもらったのがきっかけ。その時、大学で環境学の講師などをしていらっしゃ
る先生が、「僕、徳島に一人知り合いがいますから言っておきますよ」と言った
その方が、北野さんでした。この出会いは奇跡でした。

その後、新聞社からの電話取材で逆に北野さんがどういう方か知ることができま
した。
製薬会社にお勤め。以前、薬害を隠して販売を続けた会社を内部告発をし、裁判
をして勝った人。
今回、私は、直前になってプレスリリースを書く暇がなくなり、プレス担当の靖
和さんに「代わりに書いて!」と頼む気持ちの余裕もなくなり、マスコミ方面へ
の働きかけは諦めていたのです。ところが、北野さんが、マスコミとの関係をフ
ル活用してくださったから、いきなり、徳島新聞、毎日新聞、朝日新聞、共同通
信、そしてなんと赤旗新聞!の方が取材をしてくださいました。
「このイベントは僕が理解できないほど意味のあるものだったような気がするん
ですよ(11/3夜、宿屋で一同大爆笑)。だってね、新聞社にちょっと電話をした
だけで、「北野さん、一体どういうことです!」って、記者が飛んできたんです
から」
いやいや、これは北野さんが関わろうとすることなら、何が重大なことに違いな
いと駆け付けたに違いありません。だというのに、「いやぁ、サイクリング大会
なんですよぉ」とトボケまくった私に、マスコミの方々は肩すかしをくらったに
違いありません(^^;。

ちなみに、「ダム反対サイクリングデモ」の報道があった後で、「北野さんに心
から感謝していること。心では同じことを考えていること」でも今回のは「反対
デモ」ではなくて、「サイクリングを楽しむこと」なのです、と訳のわかりにく
い説明に耳を傾けて「分かりました」と理解してくださった新聞記者の方々に感
謝します。

その結果、徳島新聞、毎日新聞、朝日新聞の各社が、少し誇張気味な(^^;ゞ、と
ても温かな報道をしてくださいました。有難うございましたm(_ _)m。

長くなるので、先に、今回のイベントの一番大きな成果を(一番やりたかったの
は木頭村を励ますことだったのだけど、それはあんまりうまく行ったと思えなく
て)報告して(感謝1)を終わりますが、次回へまだまだ続きます。

【木頭村にとっての力強い成果】
北野さんが関わる労働組合の横のつながりで、大阪全労協の大阪電通合同労組の
山崎さんという方が、このイベントをきっかけに木頭村のことを知って木頭村へ
行ったこと。これだと思います。

山崎さんは、大阪からオートバイで駆け付けて、100キロをずっと伴走してくだ
さいました。ヤワな私は、「体力的に無理だったら諦めてリタイヤしよう」と思っ
ていたけれど、60キロを越した辺りで、苦しみ(体力の限界)を通り越しちゃっ
てもうどうでもいい状態、「完走はできる」というハイな状態が訪れました。し
かし今度は寒くなって、おまけに肩がコリコリに凝り始め、「あぁ、寒いなぁ。
完走できても肺炎かなんかで死ぬかもなぁ。まだ死にたくないなぁ」と、体力を
使い果たしたせいで、判断力すら消えさってしまった頃、山崎さんがバイクで無
言で、プルプルついて来てくださっていることに気づきました。
そのプルプルというエンジンの規則的な音を聞いているうちに、「平均時速20キ
ロで走り続ければ日暮れ前に着ける」という所に意識が向いて、登りは呼吸を続
けることとペダルを踏み続けることだけを考えたし、下りは120%のエネルギー
をかけて走り降りました。「見ず知らずの人が伴走をしてくださっている」そう
思いながら。

山崎さんは今回は個人としての参加。でも「このサイクリングの報告書を書きま
す。組織として決議されるかどうか分からないけど、木頭村の応援が何かででき
ないかを話してみますよ。組織として決議されなくても署名集めはお手のもので
すからね」

応援のつもりでやったのに、迷惑ばかりかけて、ちっとも木頭村のためにならな
かったのではないか、と反省と悔恨に浸っていた私が元気になったのは、徳島小
松島から和歌山に渡るフェリーの中で、偶然帰りが一緒になった山崎さんと、お
話しができたからです。
今回私がやったことはすべて何もかも、自分達だけ楽しんで終わって、木頭村の
人々を励ますことにならなかったかもしれない、だけど、それをきっかけに来て
くださった山崎さんが、大阪に帰って行動を起こしてくださる、それはきっと、
労働組合というものをよく知らない私には図り知れない力になってくださるので
はないかしら、そう思っています。

最後に、「労働組合というのは、市民運動をよくサポートされるのですか?」と
いう質問に対し、以外な答えが返ってきた。
「元々はそうじゃなかった。賃上げとか、関心事は自分達の回りのことだった。
それが、阪神大震災以降、少しづつ変わってきましたね。震災の時、現地のメシ
が食えないという状況を知って駆け付けた。6か月常駐しましたよ。それが終わっ
て労働組合も変わっていくなぁと思っていた所に、この話が北野さんから飛び込
んできた。阪神大震災をきっかけに、労働組合の関心事もどんどん広がっていく
と思います」

まさのあつこ