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∞∞ダム日記130(来年もよろしゅ〜)∞∞

12月30日(金)

うー。感無量。1995年、なんとか生き抜きました。
皆々様、大変お世話になりましたm(_ _)m。

今年の2月17日以来、ひょんな気まぐれで(^_^;)始めた日記。
あれも書きたいこれも書きたいと思いつつ、そんなに毎日書いては読む人が疲れ
るなぁと思って我慢するした時もあれば、う〜、書きたいと思いつつ、時間が取
れなかったり、睡眠が邪魔をしたり、目に隈を作ったり、熱を出したり、そりゃ
まぁ、ホントニ、ホントニ、色々ありました。

始めた時は東京のボロ安アパートに住んで、食べるためだけの仕事しかせずに、
のんびり図書館に通いつめ、一方で合気道で身体を鍛えつつ、でした。やがて、
いろんな場所を飛び回り、人に会い、一気に色々なことがあって、神奈川に引っ
越し、生活と動き回るための仕事を増やし、サイクリング大会をやり、もみくちゃ
になり、社会でも色々なことが起きる中で、飽きっぽい私が、気を散らすことも
なく、もう死にそ、と愚痴りながらも、なんとか生きているってな感じです。
それというのも、つぶやきにしか過ぎなかった(今でもそうですが(^_^;))ド素
人の「ダム、自然、及び、日本の仕組み」お勉強日記に、(よくもまぁ)色々な
想いや情報を寄せてくださった皆さんのおかげです。
「わ、これ、ダム日記に載せてもよいですか?」と聞いて「どうぞ」と言われた
のにそのまんまになっちゃったこと数しれず、ごめんなさいm(_ _)m。

書こう、書こうと思っていた中で、なかなか書けなかった二人のことを今日は駆
け足で書いて、130号を本年最後の日記としたいと思います。

一人目は、谷口佳久さん。彼は、彼の友達が「こんなもんが出てるよ」と彼に送っ
たメール経由でダム日記と出会います。彼らのキーワードは「自立と協調」。
「自分の考えを曲げたり、人に自分の考えを強制したりする必要はない。そんな
ぶつかり合いではなく、協調できる所だけでも力や知恵を出し合えば、共に成長
ができるはず、成長したいね」こんな考えに私も非常に影響を受けました。
そう。何かをしたいと思った時に、複数の人間が、何から何まで「考え」を一致
させる必要など、どこにもない。この考えを母体にして「木頭村の未来を考える
会」も作りました。みんなバラバラでいいのです。できることだけ持ち寄れば、
それだけで「やぁ、私も頑張ろう!」と元気が沸いてくる。
しかし、そういう彼の「協調」の仕方は実は非常に激しい。木頭村のことをでき
るだけ多くの人に知ってもらいたいと考える私に「自分なりに協調」できる方法
として、コンピュータに強い彼が考え出したのが、インターネットのホームペー
ジでした。ここからが、彼らしいのですが、彼はこのページに、OpenComunityと
いう名前を付け、読んで字のごとし、「開かれた場」にしました。「木頭村の未
来を考える会」と共に、「小笠原ネーチャーフォーラム」「樹木・環境ネットワー
ク」というように彼が協調したいと思う人々の情報を載せ、また自らがアンテナ
となって、さまざまな方面へネットワークを広げています。そして、また、サイ
クリング大会の時はバンドのリードギターとして木頭村に駆け付け、行き帰りは
運転しどうしでした。スーパーマンですね。
この谷口さんに、これまた当時、私とは見ず知らずだったにも関わらずメールで
ダム日記を送り続けた我が相棒にもお礼を言います。

さて、二人目は木頭村議会の議長である久米氏のこと。私は、木頭村へはまだ2
回しか訪れたことがなく、残念ながらお会いしたことはありません。しかし、こ
の久米議長こそ、木頭村に最初にダム計画が持ち上がった時に反対を唱えた人で
あり、なくてはならない人であると多くの人から聞きました。今は、地元サイド
として、村長と共に、建設省主導の審議会に出ることを拒否していらっしゃいま
す。20年余、色々あったに違いありません。応援を始めて1年経っていない私な
どがこんなことを言うのはまったく変なのですが、これからも是非頑張っていた
だきたいと、心から願う次第でありますm(_ _)m。

では、皆々様、よいお年をお迎えください。
お正月の4日まで、ダム日記は完全休養いたしますm(_ _)m。

まさのあつこ