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∞∞ダム日記140(吉野川の魔法)∞∞

2月11日(日)

徳島県の吉野川に恋をしたのは、去年の夏だ。徳島市内から車で20分くらいかか
る距離を、二日で二度訪れた。

一度目は、地元の人が吉野川第十堰(だいじゅうぜき)を見せてくれた。
空が青かった。大きな川はいい。
水と空と緑がいっぺんに沢山見える景色はいい。
土手の上から、第十堰を見た。黒々と地に張った堰の上を、さわさわと、瀬のよ
うに水が流れている。「堰」と言われなければ、自然のいたずらで規則正しく石
が並んだかのように見える「瀬」のような眺めだ。

二度目は、前日に土手から眺めただけの堰が、朝から頭の中にチラついて、どう
してももう一目、堰を至近距離で見たくなった。というより、水の流れる堰の上
に立ってみたくなった。立てそうな気がしたのだ。地元の人がしてくれたように、
タクシーを呼んで、再び堰に向かった。タクシーのメーターを気にしなくていい
ように、タクシーには行ってもらった。ドキドキしながら土手を降りた。堰が近
づいてくる。吉野川は大きかった。堰を抜ける水の流れは速く、土手の上から見
るよりも、敷かれた石やコンクリートの間隔が広く、足のコンパスが小さい私で
は、流れの中に落ちてしまいそうで怖かった。コンパスの大きい連れは、器用に
コンクリの上を跳びはねて、岸から30メートルほどの堰の上に立った。聞こえる
のは、堰の間を、水が流れていく音だけ。
振り返ると、これが霞堤(かすみてい)の名残かな、と思うような水路が、上流
方向鋭角に伸びていた。

「霞堤(かすみてい)」は、前日に、地元の人に説明してもらったばかりの新し
い知識だった。キラキラとしたこの宝石のような霞堤の話を、私は、大切に持っ
て帰ってきたけれど、ダム日記でどのようにしたら霞堤の魔法を、魔法として表
現できるか、自信がなかったので、そのまま、書けずにいた。

【霞堤の魔法】
第十堰が作られたのは、江戸宝暦二年(240年前)。阿波藩には、当時、堰を作
る技術がなかったので、他の藩から技術者を招いて作られた。ここまでは、その
指導を受けた関係者を祖先に持つ人から、偶然に話を聞かせてもらったのだけど
(因果だなぁ、と思う)、そこから先、何故、堰が川の流れに対して直角でなく
斜めなのか、今では、知る人がいないそうだ。はたして、最初から意図して斜め
だったのか、それとも、直角に作ったのに川が流れを変えたのか、郷土資料とい
うものが、後になって川を守るために必要となる場合もあることを知ったのは、
この時が始めてだった。
昔の人の意図とか根拠が分かれば、「斜めだから危ない」なんて根拠の乏しい理
論を240年の歴史を耐えた堰の上に振り回されなくていいではないか。

さて、話変わって、堤防には大きくわけて2種類あって、一つは私達がよく知っ
ている連続堤防。すーっと連続して川の両面が囲ってある。
もう一つが「霞堤」なのだ。これは、堤防が切れ切れに作ってあって、わざわざ、
川の水が川の外に逃げるようにしてある。必要以上に堤防が削られないように、
海に向かって矢印を描くような角度で、水路が導いてある。この水路を通って、
川から水が逃げるとき、逆流の方向になるので、流れの勢いが死ぬ。ジワジワと
川が氾濫をするのだ。

吉野川付近は、江戸時代、藍の産地だった。藍は、連作ができない。しかし、川
が氾濫すれば、水が引いた時、上流から流れてきた肥沃で新鮮な土が残り、連作
が可能になる。資金源を「藍」にかけた阿波藩の、これは知恵だった。そして、
私は、この話を聞いたときに、魔法を目撃したみたいな感動を覚えた。

【建設省の計算間違え】
心理学では、「言い間違えには言い間違えた根拠がある」という考え方をすると
いうのを聞いたことがある。何か考え事をしながら、他の事を言おうとすると、
気にかかっていることの方が、口に出てしまう。
では、建設省の計算間違えって、その間違いの根拠は一体なんだろう?

2月7日、第3回目の吉野川第十堰審議委員会が行なわれた。ブーイングが続い
たために抽選で10名の市民に公開!というけったいな公開の仕方で。
時間があったら書きたいと思っていたけれど、第2回の時の審議内容では、素人
の私でも論破できるような嘘八百が、建設理由として並べてあった。これには、
「吉野川シンポジウム」の姫野代表が、新聞で、詳しくきちんと反論していた。
尊敬を新たにした。

さて、第3回での目玉は4つ。
1.建設省は、吉野川河口堰建設の根拠である過去の洪水時の痕跡を1メートル
も高く、ごまかしていました。それも第十堰から上流2キロ区間のみ(=_=;。

しかし、指摘されても往生際が悪い。「計算方法そのものの限界というものは認
識している」だそうだ。あほらし。次!

2.建設省は、吉野川河口堰に代わる代替案を6つも出したのに、何故かどれも
「難しい」で最初から片付いていて、新聞にすらしっかりその6つが載っていな
い。どんな代替案だったかすら、住民には説明がないのだ。
「代替案はあるが難しい」という結論を最初から建設省が出してくる審議会は、
審議ではない!やめてしまえ! 恥をさらして、幻滅されるだけだよ。ほんま。

3.公開にすると議論をしにくい、と言っていた審議委員が、「問題はなかった」
とコメントしている。一方で、スペースの都合で市民は10名まで、と言っていた
のに、10名が入ってみると「もっと余裕で入れる」ほどのスペースだったそうだ。
次はもっと大きな会場でやるべきですね。本当ならテレビ公開にでもするべきだ
と思いますけどね。

4.建設省の説明は分かりにくいのに、審議委員からは何一つ突っ込んだ質問が
でなくて、まるで建設省による一方的な説明会のようだったそうです。やれやれ。


中央の建設省さん。これが、問題のあるダム・堰に対して、各地で開いて欲しい
と要望した審議会の姿なんですか?なんかうまくいってませんよ。なんとかした
らどうです?手足くらい、うまく動かしてくださいよ。(中央で)言ってること
と(地方で)やってることと、違い過ぎますよ。そう思うでしょ?思わなければ、
自分の常識を疑ってみた方がいいですよ。四国巡礼の旅にでも出て、庶民の考え
を学んだらどうです?ついでに、吉野川と那賀川を見ることを忘れないように。
それにしても、吉野川河口堰は、長良川河口堰より大規模になるそうではないで
すか。
お願いですから、あんなに雄大に海へと伸びる川の景色を遮るようなぶさいくな
川の墓標を建てるのは、止めてください。。。。読んでくださっていますか?

吉野川のことをなんて伝えようか、、、そう思っている今夜、電話がかかってき
た。
「あ?まさのさん?喜田です」
「あ!喜田さんヽ(^<>^)ノ」
サイクリング大会「木頭村へ行こう」の時、まさかに備えてバンで救援隊をして
くれた人だ。吉野川ほとりの藍住町(あいずみちょう)に住む。それは、文字通
り、かつて藍と共に暮らしていた町だ。昔のなりわいが残っている地名って、い
い。
サイクリング大会の後、「吉野川第十堰も許せない!町議戦に出る」と聞いてい
た。今晩の電話は「当選」の電話だった。やった!
小さい町だけれど、環境派議員の誕生。よかった。おめでとうございます(~0^)/。


ちなみに、第十堰の「第十」というのは、吉野川ほとりの石井町という町のすみっ
こにある地名であって、十番目の堰というわけではありません。地元の人もよく
間違えるようです。

まさのあつこ