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ダム日記164(ダム日記の裏側)←  1996年 4月 20日  →ウォームアップ

∞∞ダム日記165(あとがき)∞∞
まさか、本当にあとがきを!? はい、その、まさかです。

4月19日(金)
今日のダム日記は、「木頭村(日本)の未来を考えるHP」で書き込みをしてくれ
ている仲間や、これからも一緒に励まし合いながら、現状を変えていくために時
間を割いていくであろう仲間へのメッセージであり、これをもってあとがきとし
ます。

ダム日記の休止は、身体を休めながら、少し立ち止って考えよう。そう思ったこ
とがきっかけです。考えようと思った内容に関しては、身体を休めようと思って
いる矢先に根をつめるわけにいかないので、ざっくばらんに、休止に至るまでの
経緯をお話ししましょう。

ダム日記を書き始めた当初は、謙虚な気持ちで、自分の分からないダム問題を勉
強しよう、その勉強したこと、私なりに感じたことを自分の中に留めることなく、
せめて関心を持ってくれる人、くれないかもしれない人に、自分のできる手段で、
共有してもらおうという気持ちで(共有してもらいたいとは思ったが、「共感」
してもらえたり、メールで励ましをもらったりするようになるとは夢にも思って
いませんでしたが)、その手段が私にとってはパソ通でした。
だから、最初のうちは、「双方向性」とか「ハンドルネーム故の匿名性」とか、
世間で普通に言われているパソ通の常識など関心がありませんでした。私は、た
だ、新聞やテレビが取り上げないダム問題を、伝えていきたいと思った。素人の
傲慢さ、と言っていただいて構いません。

さて、次に、こうした謙虚な気持ちで書いていた私を、一早く脇から支えてくれ
た人々は、非常に中立的で、かつ、ダム問題をまったく知らず、環境問題にもさ
ほどの危機感を持っていたわけでも、アウトドアスポーツに親しんでいる人でも
ありませんでした。

そうこうしている内に、私の身近な仲間の間では、共通の意識ができてきました。
それは、「情報を伝える。それによって、情報を受け取る人の頭は、その人自身
に耕してもらおう」という考えです。
不利な点はひとつ。即効性がないこと。海の水をかい出しているかのごとく気が
遠くなること。
利点は2つあります。
ひとつは、ダム問題のエキスパートを作るよりも、社会全体を柔らかく耕すとい
う意味で非常に効果的です。日本に転がっている問題は、それこそダム問題以外
にも一杯ありますから、応用の利く頭を作ろうということ。
もう一つには、自分達の経験から出ていることですが、「反対」という言葉は、
人を最初から拒絶する威力がある。多くの人は、「反対」という言葉にアレルギー
を持っている。いかに正しいことを言っていても、その文脈の中に、「反対」と
いう言葉があって、それがシュプレヒコール調であれば、聞いてくれる人の数は
ガクっと減る。自分達がそうだった。「反対」という言葉を聞くだけで、耳をふ
さいでしまう傾向は少なからずあった。

だから、一歩一歩落ち着いて、「無駄にできる自然環境はもう一滴たりとも残っ
ていない」こと、「ダムを作るメリットより、デメリットの方が圧倒的に大きい
こと」などを伝えていくことが、じれったいが、より多くの人に耳を傾けてもら
えるようになるのではないか。少しづつ、少しづつ知ってもらって、それで、そ
れぞれに「考えて」もらう。
それが「木頭村の未来を考える会」です。

しかし、今年になってダム問題を観察していると、頭に来ることが非常に多い。
怒りたくなってくる。思わず、プンプン、ブリブリ、ダム日記で怒る。共感して
くれる人がいると、「一緒に闘おうぜっ!」と言いたくなる。
しかし、ちょっと待てっ!おい、まさの!闘う相手は、本当は誰なのだ?誰を相
手にするのが一番近道なのか? 効果的なのか? これは仲間の声であり、私自
身の声です。
確かに感情をあらわに怒っていれば、精神衛生上、さほど悪い状態には陥らない。
しかし、それでいいのか? 言い訳がない。市民運動だからって、いや、市民運
動だからこそ、好き勝手に効果も考えずにヤミクモにやっていては駄目なのだ。

不特定多数に分かる言葉で、語らなくては。
無関心な人の心に届く言葉でなくては。
今のダム日記は、そうした人のせめて頭には届くのか?

私は近頃、思わず、よく「闘う」という言葉を使う。しかし、それが、何か対象
のあるものに対して「闘う」というのであれば、そして、それによって現状を変
えるというのであれば、闘う対象、つまり「敵jは、「ダムを作れと陳情する企
業」「そこで賃金をもらう人の生活」ということになる。
国を上げて転換を始めた時に、一番にとばっちりを受けるのは、国の末端(一般
市民)だ。国の現状を変えるというのは、末端を変えるということだ。ならば、
一番の末端からジワジワと変えていくのでなければ、国の政策による犠牲者がで
ることになる。

誰をターゲットに運動をしていくのか?これは重要な点であり、沈思黙考すべき
ことだと思う。一番いいのは、国に働き掛け、地元自治体に働きかけ、現在犠牲
になっている民衆に働きかけ、無関心な民衆に「実は君たちも犠牲者であり当事
者、つまりは加害者なのだよ」と働き掛け、マスコミに働き掛け、世界にも先進
国として進むべき道を発信し、途上国が我々の二の舞を踏むのを避けるというの
を同時にできることだ。しかし、スーパーマンはいない。これは幻想だ。
いや、本当にそうだろうか? 仲間は増えてきた。分業ができるじゃないか?
目指すところは一緒なのだ。同時に一人がやれたら理想であるこ所を、皆で分業
してやれば、仕事が早く済む。町に住む人も、山に生きる人も、永田町の住人も、
霞が関の人間も、皆が同時に仕事をすればいい。本当の今現代に生きる「人間が
すべき仕事」を。

では、この分業の中で、私はどちらを向き、何をすればいいのか?私は、この大
きな流れの中で、どんな立ち回りをすれば、効果的なのか? 何が自分には向い
ているのか?
私は、これまで、「自分は素人としてできることをやっている」という自負の上
にダム日記を書いてきた。だけど、多くの人が真剣に読み、行動を始めてくださっ
ているということが本当の本当に分かってきてから、もう「素人」の論理は捨て
なければならないと思った。
お金をもらうことが「玄人」ではない。どれだけ真剣に自分をそれに捧げる覚悟
と準備があるのか。精一杯の覚悟と準備があるならば、私はもう「素人」だから
という甘えを自分に許してはいけないのだ。
このことをしっかり頭に叩き込みたくなった。
無責任な、言いっぱなしの与党や野党のようなダム日記は書くまい。そう決心し
た。

私は、最後まで、人生をかけて、この問題を説く。
私が倒れたら、必ず、この気持ちを自分の頭で考えて、自分の方法で発展させて
いける世代を発掘しながら、共に成長しながら。

自分の分担と覚悟を決めたら、ダム日記に戻ってきます。必ず。
まさのあつこ