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∞∞ダム日記169(いざ、苫田!)∞∞

6月8日(土)
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審議委員会による「苫田ダム事業お墨付き」が決まるまでの
1週間レポート第2回です。
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「カッ」となってシデカスことにロクなことはない。
第一、建設省前で「歌って踊る」なんて、ずいぶん恥ずかしい。なんと言っても
一番恥ずかしいのは、ハズカシイことをやったのに注目を浴びないのが一番恥ず
かしい。
私だってたまには失敗を恐れるのだ。
ただ、この恥ずかしさというのは(この時でなくもう少し後で考えてみたのだが)
、本筋で失敗するなら自分に対して恥ずかしくはない。でも本筋ではない「奇を
てらうだけ」のもので失敗したら、これは人に対してよりも自分に恥ずかしい。

【イイクニ作ろう 平成時代】
6月1日:一夜明け、朝から休日出勤の相棒を起こし、「いってらっしゃ〜い」を
して、ナオコに電話する。が、留守だ。
ウム、「建設省前 怒りの青空集会!」のことは少し考えろということだな、と
解釈。洗濯など済ませて、図書館行って、パソコン叩いて、「海だ。こんな時に
は海を見なくては!」という気になって、チャリにまたがり海へ。
車の道路を通らない裏道を選んで行くうちに、1本道を間違えて新天地へ。
後戻る前ギリギリのタイミングで、吸い込まれるようにそのまま進んでいくと、
今まで知らなかった鎌倉時代の「切り通し」に遭遇。
「いざ、鎌倉!」という時に、敵よりも味方が早く鎌倉へ辿りつけるように、山
を切り分けるようにして作った近道。秘密の道だ。突然ひっそりと私と私のチャ
リに覆い被さる土の壁は、1192年あたりに生まれたもののような気がしない。80
0歳の道!
「イイクニ(1192年)作ろう鎌倉時代」って覚えたっけ。
ウンショ、ウンショと切り通しの坂を、チャリを押して歩く。
住宅街に出てしまったが、その向こうに深い緑が見えている。ドンドン進む。ド
ンドン登っても近づかない。だからもっと登る。気づいたら、鎌倉の外輪山のてっ
ぺんだった。
そして、いきなり、山と木と森に囲まれた農村の風景にいた。
聞こえるのは見えるのは風の音、山の音。畔道をドンドン進む。なんで、こんな
所がこんな所にあるんだか知らないが、あるのだ。
6月2日:ナオコと連絡がつく。この時は「恥ずかしさ」についてまだ自分の中で
分析をしていなかったので、カクカクシカジカ「歌って欲しい」とナオコに言う
と、「えっ?それは恥ずかしいぞぉ」と言われる。「えっ?やっぱり?そうか。。
。」「でも、どうしても困ったらヤルからさぁ」「うん、じゃ、まずは恥ずかし
くない方法を考えてみるよ」
それで考え始めた。

6月3日:仕事。
6月4日:四日四晩の後、至った「だ〜れも恥ずかしくない」方法。
「正攻法」しかない。これなら、私が「人」に対して恥をかけばいいだけだ。
朝から勢いを付けて岡山に電話。
「ご迷惑でなければ、私、建設大臣に苫田ダム審議委員会即刻中止を要請します。
ただ、やってもなんの力にもならないかもしれませんが、それで良ければ」
「お願いします」
私は猫の手だ。
建設大臣中尾栄一氏の議員会館の部屋に電話をかける。
「建設大臣に苫田ダム事業審議委員会即刻中止の要請文を手渡すためにお時間を
いただきたいのですが、どうすればいいでしょうか」
「えっ、どうすればって、、それは、えっと、すぐには・・・」
秘書殿が、対応に苦慮して困っている。マズイ。マズッタ。ストレート過ぎたら
しい。
またやってしまった。しかし、こういう場合の沈黙には耐えられない。
まさの「すぐには駄目ということでしたら、ではいつになればいつ会えるとかい
うのが分かります?」
秘書殿「いや、その前にですね、一国の建設大臣が会うにはですね、貴方様がど
のような団体であるとか、どのような用件かとか、誰が同行するとか、そういっ
た資料をいただいてですね。内容に応じて場合によっては担当の者が代わりにお
話を伺うようなこともあります」
ま「なるほど、あの、初めてなもので、そ〜ゆ〜手続きをよく知らなくて、失礼
しました」
あっさり非礼をお詫びしたらば、
ひ「いえいえ、こちらこそ」
と、優しく笑ってくださった。一人一人は誰も悪くないのになぁ。
「テキ」の部類の人と話した後でいつもそう思う。悪い人なんていないのだ。
いっそ悪い人が固まっていたら、「滅多切りにしてくれるわ〜」と乗り込めばい
い。
でもそうじゃない。世の中複雑なのだ。私のような単細胞は戸惑うばかりだ。
複雑な世の中も複雑なまま受け入れなければ生きて行けないのだ。
今はさしずめ「文字」としてではなく、「絵」として複雑さを取り込んで、その
「絵」をなぞるようにして塗り絵をしている心境だ。

まさのあつこ