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∞∞ダム日記185(那賀川の長老の話)∞∞

8月6日(火)
【8月2日(金)那賀川エクスカーションの報告】
午後1時徳島駅前出発。参加者は、南は鹿児島から車の運転を交替しながら睡眠
時間4〜5時間でやってきたグループから、北は金沢の辰巳ダム建設反対運動を
している人まで53名。行政側の人が1割弱といった感じ。
「バスツアーと言っても、これは本当にバスツアーです」と代表責任者石橋さん
がおっしゃった。木頭村までの道のりが遠いので、村ではゆっくりできず、一日
中バスに揺られます、という意味だ。
熱が入って「ちょっと演説調になってしまいましたが(^_^;)エライ失礼しました」
で終わる木頭村長の挨拶があって、次に、途中から乗り込んだ「那賀川の清流を
取り戻す会」の山住國廣氏と前田長男氏の解説が始まった。

【賛成から反対の立場に】
「私は、長安口ダム(本流で一番古いダム)建設の時は賛成したんです」から始
まるお二人の話は、那賀川の歴史を物語っていた。丹生谷(にゅうだに:那賀川
に沿う木頭村までの谷)を行く道路はなく、人の行き来は獣が通るような道でし
か行なわれなかった。杉や炭や、丹生谷の山の産物は、皆、川で下った。帰りは、
生活物資を乗せてひっぱって歩いた。
そんな所に、ダムを作らせるなら道路をつけてやるという話があった。人が沢山
来るようになると。そんないいことばかりなら作ってもらおうやないか、と賛成
した。
昭和31年、ダムが完成してしばらくすると、「しまった」と思った。

雨が降った後、川のにごりが消えない。100種類くらいいた魚がどんどん減って、
今では10種類ほどになってしまった。
ダムができる前の那賀川は、雨が降っても1日で水が澄み始めたものだった。ダ
ムができてからは、ダムにたまった土砂が少しづつ少しづづ、いつまでも流れて
くるから濁りは消えない。

少しでも清流を戻せるように、ダムに溜まったヘドロをとってくれと、再三県に
訴えた。県は、4〜5年前から年に4000立法メートルの土砂をトラックでダムの
下流に運んでくれるようになった。これで大水の時に少しづつは下流に土砂が流
れるようになる。しかし、追い付かない。その何倍もの土砂が毎年ダムに溜まっ
ていく。

県は、そこで、那賀川沿いの荒谷という小さな谷川にもう一つダムを作って、そ
こをヘドロで埋め尽くす計画を出してきた。
「わたしらが頼んだのは土砂を取るゆうことでした。人間の手がはいっとらん美
しい谷をヘドロで埋めるじゃなこと」
その代わりに、お二人が出している案は、排砂パイプ(バイパス)を通して、常
時下流に土砂を流すことだ。しかしこの問題に単独で対処する県は、バイパス案
ではなく、より低コストで済む谷を埋める案を通そうとしている。しかも、荒谷
がヘドロで埋め尽くした後も長安口ダムに溜まり続ける土砂をどうするか、とい
う解決策は用意していない。
那賀川の延長125Kmのうち、木頭村より上に残された最後の32Kmの清流は、孫子
のために残すことができなければ申し訳ない・・・そんなお話しだった。

お二人が解説を終えて降りたあと、石橋氏が言い添えた。
「あのお二人は、見ただけでは、そこらにいる二人のおじいちゃんですが、自分
らで何度も何度もダムに足を運んで計測しましてね。放水量とかです。本当のフィ
ールドワークです。それで自分達の調べた数字と発表の数字が違うと、県に指摘
する」

このような姿勢で丹念に調べあげ、お二人は1995年4月に「那賀川水系の利水と
治水」という論文をまとめている。建設省、農水省、県の資料によって作成した
グラフや数字を元に、那賀川の利水、農業用水の節水、那賀川の治水、那賀川の
塩害というテーマで、論じている。
彼らの「思い」や「気持ち」を一切排除して語ってあるこの数字が一杯の硬質な
論文を、恥ずかしながら、私はまだ最後まで読み終えていない。
しかし、もう一度、一から、那賀川の現実を一つ一つ、勉強し直そうと思う。
蛇足だが、「那賀川の清流を取り戻す会」の名前の意味が、お二人にお会いして
初めて理解できた。山住氏と前田氏の心の中にある那賀川は、今でも清流なのだ。


まさのあつこ