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∞∞ダム日記190(今日は記念日)∞∞

8月24日(土)
今週は、素敵な人とオンラインで出会った。
いや、木頭村の応援を始めて以来、素敵な人との出会いはしょっちゅう起きるの
だが、いつもの出会いとは少し違う出会い。

ごく普通の感覚の人が、ダムのことで運動をしている私や他の人に持っているイ
メージを、表現してくれたのだ。それだけ。それだけのことがとても嬉しい。
批判とか批評とかではない。もちろん賛美でもない。無責任な言い放ちでもない。
感じたそのままをお話してくれた。
これが、キャンプフォーラムの会議室「考えようエコロジー」で起こった。
どこかで起きて欲しいと、願っていた。
パソコン通信上で、大勢の同質の仲間を見つけた私達(ダムバスター)にとって、
今必要なのは、同質な者同志が集まって励まし合う以上の何か。
例えば、こんなふう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>ダムバスターズ側
>も雰囲気や自然保護だけを前面に出してダム反対を唱えても、支持されないと
思います。で、どちらも支持されない場合、「お上についとけ」というのはご
く自然な成り行きで、「要るってんだから要るんじゃないの?」というのが大
多数の人の考えになるでしょう。

お役所の対応に振り回されないで、私の様な懐疑的な人間でもとりこめるくら
い理路整然とした論陣を張ってくださいね。ダムバスターズ側は、お役所に比
べて、情報伝達や権威付けの面で不利なはずですが、正しい主張ならばいずれ
受け入れられていくでしょう(正しく伝わればですが)。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜転載終わり〜〜〜〜〜〜

こんな方がでてくるのを待っていた。この方の発言を見た時に、そう思いました。
普通の人の感覚ってこの方の発言に近い。でも、こんな風にはっきり書いて伝え
てくれる人はいなかった。しかし、この方は心を開いて表現してくれた。キャン
プフォーラムという少し場違いな場に書き込みをする私達ダムバスターを、長い
間静観してくれて、その挙げ句、語ってくれたことが、とても嬉しい。

私たちが今一番大事にしなければならないのは、この方のような発言なのだ。
この感覚を忘れてしまうと、運動の半分を放棄することになる、と思う。

権力を持っている人(行政とか政治家とか)は、私達普通の人の代表だから、行
政や政治家を説得し、納得させ、世の中を変えていくには、普通の感覚を持つ人
(=私にとってはダム問題における昨日の私)を納得させることができなければ
進まない。だから、自分のためにも、この言葉を刻みつけるために、この方に、
転載の許可をもらいました(発言の一部だけでごめんなさい)。許可してくださっ
たことをとても感謝している。一段落目はとても率直に話してくださっているし、
二段落目はとても深い思いやりに満ちていて、とてもいい方に出会えたと思って
じ〜んんと感激している。

この後、この方の持つ様々な疑問にどうやったらお答えできるだろうか、と、他
にやらなければならないことを、すべて吹っ飛ばしてお返事を書くのに没頭した。

だから、今週は、自己管理が甘く、さまざまな仕事や頼まれ事をやり残したまま、
明日から始まる立法学講座の夏合宿に参加することになってしまった。パソコン
を持参して夜は夜で、宿舎で仕事をせねばならない。辛そうだ。でも、後悔して
いない。とっても爽快な気分。

少し、長いけれど、この方宛てにFCAMPで書いた自分のレスを転載させていただ
きます。何故なら、水問題を身近に感じるようになったと、言ってくれたから。
いまにさん、素敵な一週間をありがとう。
堂々巡りを繰り返し、やっと、どこかへ辿りつけたような気がします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(誤字等訂正しました(^_^;))〜〜
>代替案無しでは、トイレに水を流せない市民からの支持
>は有り得ません。
はい。念のため、誤解のないように、「水不足の原因は、雨不足です」を言い換
えると、「雨が降らない時にダムは答えではない」。そして、ダムでは得られな
い答え(代替案)を出すのは、トイレの水に困っている人の責任でもあるのだと
いうことです。
実はそれこそが答えなのです。

ご理解いただけるように、噛み砕いていいます。
「ダムを作らないで欲しいと思っている山の人」と「トイレの水が出ないと困っ
ている都会の人」の違いはなんですか?どちらも困っている。どちらを犠牲にす
るか、そういう問題ではないですよね。本当は。
どちらも犠牲にならない方法は?という所を賢明に理論的に科学的に話し合う
「場所」や「権利」や「手続き」が確保されていないのです、この国には。

話し合いの場さえあれば、「水がトイレに流れない」という問題に対して、他の
解決策を持っている人が現われるでしょう。例えば、ドライトイレの活用を提案
する人が現われたり、くみ取りトイレの復活を言いだす人がいるかもしれません。

ドライトイレは電気を食うと反論する人も現われるでしょう。それに対して、ソー
ラーや風力でかき混ぜればいいじゃないかというアイデアもでてくるでしょう。
そういう場さえあれば、そういう活発な議論ができる下地や発想は、家庭人や素
人、あるいは新しいビジネスチャンスを狙うビジネスマンのなかに沢山あるはず
で、それを活用するようになれば、経済はもっと活性化するんじゃないかと思い
ます。

代替案を探さなければならないのは、山の方ではなく、都市の方だという発想に
欠けていたと思いませんか?
今まで、全部、山や川や田舎に押しつけてきた。
原発も、廃棄物を捨てる所も、発想は全部、山が犠牲、川が犠牲、田舎が犠牲。
何故なら、自分は、都会に住んでいるから。これはほとんど無意識レベルの発想
で、自分が被害者になってみないと中々分からない。
でも、今言ったように、「水洗トイレの代替案」はお金を出せば、ドライトイレ
とかくみ取りトイレとか可能性としてあるわけですが、一度壊れた清流(泳いだ
り、そばで昼寝するのはすっごい気持ちいですよ)に代わるものはないのです。

ダムが経済基盤であり、経済振興策であるとして、国が税金を使うならば、ドラ
イトイレの開発や渇水地域の設置に、税金を使うことだってありえる。
代替案の答えを都市の生活の中に見つけることはできるはずです。
これまでのことは仕方がないとして、これからはせめて、そうすべきではないか
と、思うわけです。

で、もって、しつこくて、ごめんなさい・・・・f(^^;)。

だから、トイレに水が流れない問題の答えを見つけるのは、トイレを使うひとり
一人であって、運動をしている人だけが責任を負うものでもない。
固定観念がありすぎると、発想の逆転は難しいので、あえて極端な言い方をして
みます。
「水が流れなくて困る」から、「私のうちのトイレに水を流してくれ」と県や国
に対して陳情に言った人がいるでしょうか? 厚生省に予算を出してくれ、と陳
情に行った人がいますか? そして、もしも、国がそっけなく、「今年は予算が
ないから、あんたの家のトイレには水は流れない。まぁ、我慢してくれたまえ。
君さえ我慢してくれれば、あとは皆幸せなんだ」と答えたり、なしのつぶてだっ
たりしたら、あなたは頭にきて、感情的に怒ったり、他の人になんとか自分の窮
状を理解してもらおうとしたりしませんか?そして、怒っても仕方がないからと、
気を取り直して、どうやったら自分のウチのトイレに水を流してもらえるように
なるだろうかと、勉強したり、弁護士に相談したり、しませんか?トイレの水が
流れるまで、貴方はそれを自分の「権利」として断固闘おうとする。熱く闘えば
闘うほど、行政は冷淡になり、端から見たら、あなた一人が我慢すればいいこと
をあなた一人がカッカして、我儘が足りず、自分の権利を押し通そうとする単な
る少数派の反対派勢力にしかみえない。
そういう図式なんです。ダムの反対運動というのは。彼らは彼らの正当であると
思う権利を行使しようとしているだけ。何度も言いますが、川は一回潰せば、そ
れこそ代替してくれるものはこの世に一つとしてない。
でも、例えば解決しなければならないのがトイレなら、代替案はあるんですよ。

あなたは、どんなトイレを選ぶのか?私はどんなトイレを選ぶのか?住宅を作る
ことを仕事にしている人達が、どれだけ、自分の責任や仕事において、何をしよ
うとするのか?これは全員でやらなければ変えようのないことなのだと思います。

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まさのあつこ