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∞∞ダム日記198(忍者の合言葉)∞∞

9月20日(金)

本日からしばし日本を出る。HPで一人の果敢なダム推進派と多数のダムバスター
達が、山と水のことを一部話題にしているが、今日はもう時間がないので、恐縮
だけど、徳島の水郷水都の論文集に載せてもらった自分の作文(^_^;)を転載させ
てもらいます。

山と川をテーマにした分科会だったので、山と川がテーマです。
長いので、前半、後半に分けます。どちらかというと後半の方が重要です。
これを書くために丹沢に登り、楽しい体験を沢山しました。

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忍者の合言葉 (前半)

「山!」「川!」ほとんど死語であると思われるこの「忍者の合言葉」は、何故
か今、復活させなければならない言葉であるような気がする。
山と言えば川。川と言えば山。
もっともシンプルな言葉に、実は物凄い真実や思想がまぎれ込んでいることがあ
る。この合言葉も、そのひとつではないだろうか。
ここでは、この合言葉が暗示するものに解釈を挑み、後に、その実践が何故なさ
れてこなかったかを分析し、また、どのようにすれば今後実践できるようになる
可能性があるか、そして、実践の努力をしなければならないという結論までを論
じてみたい。

   * * *

山に降った雨が麓に湧き出てくるまでに、優に100年や200年はかかるという。
今、私たちが飲んでいる水は、たとえば1896年に降った雨だ。それは、明治時代、
日清戦争が終わり、下関条約に調印して、日本が人様の領土を割譲してしまった
頃の時代だ。1790年代であれば、松平定信がせっせと寛政の改革をやっていた頃。

このような時の流れの中でつながっているのが「山」と「川」であるとすれば、
私たちが「今、川を考える」時、少なくともその100年前に「山」のことを考え
ていなければならなかった、ということになる。
私たちの先人達は、「我々の川」のためを思って、「彼らの山」を考えていただ
ろうか?いや、現実を見よう。今、私たちは、100年後の子孫の川を思って、今
の山のことを考えているだろうか? 

川即是山 山即是川
戦後ほんの50年余を振り返っても、私たちの多くは、山のことなど一切考えてこ
なかった、と言えないだろうか。価値観の崩壊で心にポッカリ空いた穴に入って
きたものは、「経済成長」ただ一つだった。ビルを建てること。橋をかけること。
道路をアスファルトで覆うこと。山間部にコンクリートをぶちこんで、ダムを作
り電力を生み、水道を敷き、都市へ運んだ。中下流では、川をまっすぐにして一
刻でも早く、と雨の水を海に流した。山から平野へ。流れていったのは電気や水
だけでなく、人々もだった。
野でも山でも、湿気を吸ったり吐いたりする土壁やかやぶきの家は消え、渡し船
が消え、雨でぬかるむ道も、井戸も、清流も消えていった。山村も歩調を合わせ
た。林野庁の命じる「拡大造林」の名の元に「ブナ退治」をした。
100年、200年という流れは一挙に狂い、山から川への流れは、「山!」「川!」
と呼応する忍者の早業よりも早くなった。100年かかって湧いた井戸水を飲んで
いたものを、山に降った雨をダムで貯めて先取りし、パイプで送って飲むように
なってしまったのだ。
忍者の合言葉が暗示していたのは、そのような早業的な流れではなく、「山とい
えば川」つまり「川を見るときは山を見よ」という、「空即是色、色即是空」に
も勝るとも劣らない大切な思想に思えてくるのだ。

さて、この「拡大造林」で樹齢何百年という木をも切り倒させた国の絶対的存在
は、資源のない近代国家を戦争に駆り立てた何かと同質のものなのかもしれない。
これはまた、その後、山村で現金収入と言えば、疑いもなく公共事業=土木工事
となった公式が成立してしまったのとも同質ではないだろうか。
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前半終わり 後半へ続く

まさのあつこ