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9月20日(金)(前半から続きます)
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忍者の合言葉 (後半)

公共事業の新しい形へ
これらの「国策」は、一体どこから出てきたのか? そのプロセスを明確に分析
することが、案外、今、山村が直面している悲劇の絡まった糸をほぐすことに役
立つのではないか?

上に挙げた3つの国策「戦争」「拡大造林」「公共工事」には、いくつかの共通
点がある。

1. 民主主義が不在であった点。
2. 将来を見通す目が備わっていなかったという点。
3. 「お国のため」という暗黙の了解があり、個人や少数派が「考えること」
が尊重されなかった点。

この3点のうち、後の2点は、最初の1点と同義語であるといっても構わない。
民主主義とは、情報の開示→住民の議論→合意の形成という一連のプロセスを示
すものであると定義するとしよう。
どのように民主主義は不在だったか? 「拡大造林」を例にする。この「拡大造
林」は、皮肉なことに、「戦争」に置き換えようと「公共事業」に置き換えよう
と、はては「住専問題」に置き換えようと「非過熱製剤」に置き換えられても構
わない。

何故、なんのための、拡大造林なのか、その効果は? この国策による10年後、
100年後の影響は? 論理的、科学的分析に基づいた情報の投げ掛け(=情報開示)
は、一切行なわれなかった。林業に従事する人はどう思うか?このことに関心や
利害関係を持つ人は他に誰がいるか?これらの人々はこの国策をどう思うか。そ
うした議論は起きなかったし、起こさせるべきであるという考えもなかったから、
議論をするための判断材料も機会も与えられなかった。また、議論が起こったに
しても、非国民や少数派として踏みにじられた。
「天皇」が「三権分立」に変わっただけで、都会に住む人間も、山村に住む人間
も、「国の進む方向」に自分は口出しをする立場であるというふうに理解した人
は皆無に等しかった。

しかし、今、それは確実かつ急速に変化してきたのではないか?せざるを得なく
なっているのではないか?それは私たち次第なのだ。ようやく、政治家を自分で
選ぶことだけが民主主義なのではなく、議論に加わることがその基盤でなければ
ならないということが分かってきた。民主主義とは、国の進む方向に口出しがで
きるという制度であることに気づく人が増えてきたのだ。

山と川を巡る国策を見るとき、その決定に至るまでのプロセスは依然、国民には
見えない。議論を投げ掛けられることもされない。特定の問題や地域に関心や利
害関係を持つであろう人を想定した情報の開示も不十分だ。開示された情報は議
論を阻むレベルのものでしかなかったりする。
民主主義における国策とは、決定や合意に至るプロセスが、関心をもって参画し
ようと思う人間全員に知らされることを前提としなければならない。そして、一
度決定したことでも、不都合が生じれば、いつでも議論を再開し、政策を転換で
きる保障があることをどこまでも求めていく私たちの覚悟が必要になってくる。

今、議論を再開しなければならないことの一つが、川の在り方、即ち山の在り方、
それは即ち、山村の在り方を巡る議論だ。
公共事業の名の元で、雇用を確保することが地域振興であるという国策、その基
本的理念は間違っていなくても、それイコール山河を破壊する土木工事という形
になって現われたことは、明らかに誤りだった。その検証は国民から始まり、今
まさに、それが国の政策に反映されるか、されないか、という瀬戸際にいるかの
ように思う。

漁師や海辺に住む人が、山に木を植えるようになり、ダムが、山や川、海や野を
荒らす原因となり、そんな犠牲を払うだけの効果はないと見抜く人が増えてきた。

いずれ、いや、できれば今すぐ、都会や山に住む全員が、「今、山に降り、100
年後に川に湧き出る雨」のことを考え始めなければならない。このことに気づい
た人が今望んでいるのは、その日が1日でも早く来るように、ということだろう。

国の「公共事業=土木工事」政策を変換させるよう働きかけながら、それと同時
に、気づいていない人々に話しかけていくことは容易なことではない。しかし、
私たちには想像力という味方がある。楽観的な言い方かもしれないが、悲観から
は非難しか生まれない。

事業より山の確保
横浜市では、10億円を投資して基金を作り、水源である50キロも離れた道志村
(山梨県)の山林を守ることに決めた。ゴルフ場建設計画の中止を要請し、その
代わりの振興策のための基金を提供するというものだ。
この政策は、今後の公共事業の在り方の参考になる話だ。

1. 将来の水確保が、現在のゴルフ場建設よりも重いと判断されたこと。
2. 「100年後の横浜市民」に水を享受する自由を与えたために、「現在の道志
村民」の経済活動を制約することをよしとし、その精算に、「現在の横浜市民」
の税金が投じられたこと。
3. ゴルフ場建設という「民間事業」より、「公共」の水が尊重されたこと。
4. 今、「公共事業」の名で行なわれている事業にも、このような性質のもの
が他にもある可能性が高いこと。

これら4つの点には、私たちがただちに議論を始めなければならないさまざまな
課題を含んでいるように思う。
横浜市のように、今度、どれだけ山に目を向け、手をかけ、金をかけることがで
きるか。壊す公共事業ではなく、守る公共事業に転換できるか。子孫の水を守る
ことができるかできないかは、そこに議論を集中させていくことにかかっている。


「山林に手をいれ、山を守ることが公共事業になるべきだ」と言う私に、ある友
人がつぶやいた。「金にはならないわけね?生産活動ではないことにお金を投じ
るわけね」私は話を進めた。「金にはならなくても、公共のためになることをす
るのが公共事業じゃない?それに山を守ることは、水を守ること。これは長い目
で見れば、生産活動をつながるはずなんだよね」水は人間生活の基礎だ。
公共事業は、私達が汗水を流して働らいた税金で行なわれる。その無機質な仕組
みのいいなりになる時代は終わりだ。
本当に公共のためになる事業を、山と都会、地方と中央が一緒に議論を始める時
はとっくに到来している。

政野淳子