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11月17日(日)

三度目の正直。「ダム事業関連人権調査報告」の中の
(6)岡山県苫田ダム計画・・・子供の人権侵害

これは、「トマッシー物語」のプロローグ第4話だけを切り取って、法務省人権
擁護局および記者の方々に配付しました。「トマッシー物語」とは、苫田ダム建
設計画のある岡山県奥津町で生まれ育った山本まりさんという女性が、1996年の
1月から語り始めた彼女自身の手記です。

彼女は、閉塞した田舎で、真実を何も「知らされなかった」(情報公開されなかっ
た)身近な大人達が、右往左往して闘ったり傷つけられたりするのを見ながら育
ち、「怒りを感じる自分がおかしいのか」と思いながら思春期を過ごしました。

その彼女がいつダム日記を読み始めたのか、正確には聞いてみたことはありませ
ん。まだ、ニフティのBBS掲示板にしか載せていない時でした。しかし、66回目
にして初めてコンタクトしてくださいました。
そのメールには、苫田のことは「何と闘えばいいのか」と諦めていた、しかし、
「どこかでおとしまえをつけなければ」という気持ちがあった、そしてダム日記
を読むうちに、とにかく自分にできることをしてみよう、という気持ちになった、
というようなことが書かれていました。

1995年の7月に初めてお会いして、彼女の記憶の中にある苫田ダムにまつわる話
を聞き、「どうか話の続きをオンラインで聞かせてください」とお願いしました。
そしてそのために開設したのが、今は100人以上の人が参加してくださるように
なった「木頭村(日本)の未来を考えるHP」です。

このHPは、最初から公開していました。まりさんの話は、最初、その公開の場で
はなく、もうひとつ別の、閉じられた非公開の場所(これは谷口さんが設置して
くださいました)に、少しづつ語られ始めました。それは、まだまだ今よりもっ
と「ダム問題のど素人」だった私を、陰で励ますような形、疑問に答えてくれる
ような形、過去の例として、私の判断材料や、転ばぬ先の杖として、与えてくれ
た話でした。

やがて、ダム問題を理解する人々が少しづつ、HPに集まり始めました。それもま
た、私が顏を出していなかった他のフォーラムでまりさんが「こんな人がいる!」
とスカウトしてきたような方々もいらっしゃっいました。
それに勇気を得るような形で、まりさんは、ついに1996年1月から、この公開のH
Pに、「トマッシー物語」を書き始めました。とても嬉しかった。この頃から、
加速度的に参加者も増えたと思います。

さて、プロローグ第4話には、強固なダム反対をしていたまりさんのおじいさん
が、賛成派にどのような仕打ちを受けたかが、書かれていました。未成年だった
彼女に、その事件が与えた傷は、大きなものでした。
また、ダム建設がいかに机上の計算で作られたものに過ぎず、住民の人間的感情
に対する配慮がないか、また、河川行政を行なう側が、ダム反対闘争という一種
異常な「戦争」の中における「子供の人権」など一切考えたことがないであろう
ことを読み取ることができます。

今回、ダム日記上で人権侵害調査報告をするにあたり、「公開をしてもいいか?」
の問い掛けに、まりさんは、躊躇しました。HPは、公開とは言え、ダム問題に理
解と感心を示してくれる人が集まってきている場で、不特定多数とは少し違うこ
と、そして、(自分の家族を傷つけた人達への)逆人権侵害になってしまっては、
元も子もない、というような思いから、私に「まさのさんの言葉で要約してくれ
ないか?」と、言われました。

傷つけられても、傷つけてはいけないということを忘れないまりさんの存在に感
謝と敬意を示したい気持ちです。

人間が暮らし、人間のために作るダムで、人の心が傷ついていいわけがありませ
ん。傷つけないようにするにはどうすればいいか、河川行政を行なう上での、こ
れがボトムラインではないでしょうか?「地元自治体の意向」=「地元住民の意
向」であるとする、現実に通用しない考え方を、改めていただかなくてはなりま
せん。

P.S.まりさん、これで良かったかな・・・まかせてくれてありがとう
文責まさのあつこ