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7月24日(木)
最近ダム日記読者になられた方へ:これは徳島県の木頭村を外から勝手に応援す
る個人的な勉強報告および活動日記です。私には、木頭村の応援をする私を、後
ろからじっと支えてくれている人がいます。「山本まり」さんと言います。もう
2年のお付き合いになります。先日、ダム日記316で、憲法第二十九条「私有財
産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」に触れ、こ
れは一見正当であるかのように見えて、実際は、札束で人の頬を叩き、判断を狂
わせるツールに使われてきた、と書きました。このことを私の頭に植え付けてく
れたのもまりさんです。

今日は、その山本まりさんが「木頭村(日本)の未来を考えるPATIO」に書いた
お話を、転載させていただけることになりました。どうかじっくり読んで、読み
返してください。まりさんは、ダムに沈もうとしている町で生まれ育ちました。
そのダムは、まりさんがお母さんのおなかの中にいる時に計画されました。計画
から、もう40年が経過しました。ダムはまだできていません。
彼女のおじいさんはダムに反対し続け、無念のうちにすでに亡くなっています。
【ダム問題の初心者の方は、前編と後編のうち、後編を先に読んでいただくと分
かりやすいかもしれません】

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>00120/00123 VFD01505  山本まり         「 本当に大事なことは何か」(1)
>( 1)   97/07/11 01:59

 「 本当に大事なことは何か」(1)

  暗い重い話をし続けるのは、気が進まないのですが、
あえて、続けさせてもらいたいと思います。
  前回、Iさんの死について書きました。今回は服毒
自殺したという、幼友達のお母さんのことについても
書いておきたいと思います。

  友達のお父さんは、たしか大工さんのような仕事を
しており、私の家にも、雨漏りやら、何やらの修繕に
よく来てくれている人でした。  そんなとき、家でた
くさん作ったからと、サバ寿司とか巻寿司だとかをよ
くもってきてくれました。私の家で作るそれとは、一味
違ってずっしりと食べごたえのある、それらが私はけっ
こう好きで、楽しみにしてました。
  私が小学生の頃、その子の家は家を立て替えました。
棟上げの餅まきの餅を拾いに、隣の集落のその子の家
まで、遊びに行ったのを覚えています。
  家が完成したころ、家を見せてもらいにというわけ
でもなかったのだと思いますが、その子のうちに遊びに
行った記憶があります。  ぴかぴかの黒い瓦屋根の新品
の家、玄関から中を覗くと、明るい色の板張りの廊下が
これまたぴかぴかに光っており、つんと鼻をつくような
新しい木の香りが今も鮮やかに思い出されます。
  友達のお母さんはよく太った体の大きな人で、その時
にはおやつに、といって、沢蟹のから揚げをごちそう
してくれました。鮮やかな沢蟹のだいだい色と、新しい
家を誇らしげにしていた友達の顔が思い出されます。
  友達の家はわりと早い段階で、補償交渉に同意し、移転
したので、あの新品の家は10年かそこらで、取り壊され
てしまったことになります。

  さて、その友達のお母さんは、おおらかな、田舎のおば
さん然とした人というイメージが強烈だったので、その人
が「自殺」した。という事が、私には、俄かには信じられ
ませんでした。  それも、家人と口論した際に、あらかじ
め用意していた毒を家族の目の前で煽るという、凄絶な自
殺だったそうです。  その上、すでにそれとなく、周辺の
人に今まで世話になったお礼をしてまわっていたそうで、
ずいぶん前から覚悟を固めていたのだろうという話でした。
  母は、「人は見掛けによらないもんだねぇ。」というよ
うな事を言っていましたが、私は、なんともいえない、た
だ、それだけではすますことのできない何かを感じてしま
いました。

  自分の母親が、あるいは、自分の伴侶が目の前で、毒を
煽って死ぬというのを見るというのはどんな気持ちがする
のだろう、と私は想像してみようとしましたが、鈍い非現
実感を感じるだけで、とうてい、考えがおよびません。
  なぜこんなことが、おきるのだろう。
  突然なくなった、Iさんも、かなり前からよく夜眠れない
という悩みを周りのひとにうちあけていたそうですが、Iさ
んを子どもの頃からよく知っているうちの母や父は、Iさん
が不眠に悩むようなタイプとはピンとこなくて、配慮に欠け
ていたと、悔やんでいました。

  個々の問題として考えていると、これらのことはあくまでも
本人にしかわからない個人的な問題としてかたづけられてしま
うのでしょう。  でも、私にはコジツケと謗られようと、どう
しても、それだけのこととして片づける事ができません。

  私は、こうしたたくさんの人の死を目の前にして、やっと、
祖父の言葉の意味が、身に染みて納得いくような気がしてき
ました。  そして、自分の愚かさ加減に愕然としてしまいまし
た。
  祖父が一番恐れていたのは、この事だったのだということを
今更ながらに、思い知らされたからです。

  かつて、苫田ダムは陳情が功を奏し、県議会から「苫田ダムに
関する限り地元の了解を得ずして実施しないように」との議決
を引き出し、ダムは阻止できたものと、喜んだ時期がありまし
た。 これは、計画発表から間もない時期のことでした。
  その時、この反対運動の成果を記念して、団結の碑が作られた
のですが、その碑の碑文の最後には次のような言葉が刻まれて
います。
  「我々は将来正には正を以って対し『 一握の阿堵物を以って
すれば民は倚らしめ得る』との人権の軽侮に対してはあくまで
団結の力を以って対処する」 *( 阿堵物>>お金のこと)

  この当時、日本はダム建設ブームが始まったばかりのころだっ
たはずです。  すでにそのころ、「ダム乞食」という言葉があっ
たといいます。  祖父がダムに反対した最大の理由は、そのよう
な被害をだすまいということだったのです。

         ( 長くなりましたのでファイルをわけます)
                                                 山本まり
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ということでダム日記も分けます。
まさのあつこ