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∞∞ダム日記337(村内放送)∞∞

9月4日(木)
【8月24日に木頭村であったパネルディスカッションの報告】
藤田村長の話、面白かった。前夜の23日にも、那賀川中流の町で荒谷(ダムの土
砂で埋める計画だったバージン渓谷)の保護集会があって、OHPを使った村長の
話を聞いた。細川内ダム反対全国行脚の4年の歴史を垣間みたような気がして感
慨深かった。考えてみると、ナマで村長のダム反対のプレゼンテーションを聞い
たのは初めてだった。

他のパネリストだった滋賀の洗濯おばさんの水野さん、橘石炭火力発電の前田さ
ん、吉野川第十堰の喜多さんの話は、いずれどこかに書きます。水野さんにはお
風呂で、石鹸シャンプー講習まで受けてしまった(^_^;)。私、木頭村の応援を始
めてから、ウチ中の合成洗剤を追放したけど、シャンプーと歯みがき粉だけは手
放せなかった。水野さんの説得力で、今使っている「植物物語」を使いきったら、
石鹸シャンプーに変えることにした。

私自身は、サンフランシスコに暮らすジャーナリストの岡部一明さんから影響を
受けた考え方を、木頭村にあてはめて言ってみたんだけど、うまく自分の言葉で
表現できず、失敗した(^_^;)。翌日の徳島新聞では、「木頭村は市民団体のよう
に機能した」と私が言ったと書かれていて(言ったんだけど)、これだけを読ん
だ人も、会場にいた人も、あんまし分からなかっただろうなぁ。あぁ失敗したぁ。
と思った。
言いたかったのは、藤田村長という人も凄いが、彼を支えてきた村民も凄い。木
頭村という組織がまるで、ひとつの目的を持った市民組織のように運営できたこ
と(自治を行なったこと)が、細川内ダム打倒の勝因だと、まぁ、そんなことを
言いたかったんだけど。失敗した。
打ち上げのバーベキューで、大阪から来た木頭ファンに「アレは村民26年の総括
にしては軽すぎると思わんか。木頭村の人に言わせたら、あんなんは総括ではな
いぞ」と痛い所を突かれた。「部外者の私ごときが村民の26年を総括できるもん
でない。10分で言えることを、アメリカで学んだことやらに無理矢理結び付けて
報告したかったんだけど、お粗末でしたよねぇ。誰に向かって話すのかという肝
心の所を意識するのを忘れていました。ははは。」と笑って勘弁してもらった。
彼は2年前のサイクリング大会の時、バイクで伴走してくれた人だ。会ったのは
2度目。いい仲間作らしてもらったなぁ、「ありがとう木頭村!」と思う。

【8月26日木頭村長の村内放送】
帰鎌して(鎌倉に帰って)26日昼の3時、「あ。まさのさん?今、村長が村内放
送をやってます!ちょっと聞かせちゃろう思うてね(^^) 」と、電話がかかって
きた。そう言っただけで、いきなり受話器をどこへやら宙へ向けてくれたらしく、
かすれながら、遠くに村長の声が聞こえてきた。「事実上の中止・・・白紙に・・
・予算を要求しない・・皆さんのご支援のおかげ・・・」
建設省の概算要求の発表に伴って行なわれた細川内ダム事実上中止の知らせを、
村民に伝える藤田村長の村内放送だった。

電話の向こう側で、村長の村内放送を聞かせてやろうと受話器を宙にかざしてく
れている方がいる。村民しか聞けないはずの村内放送ライブを、ナマで聞かせて
もらっている。幸せを感じずにいられない97年夏の木頭村でした。

まさのあつこ