TOP 1-100 101 - 200 201 - 300 301 - 400 401 - 500
ダム日記396(逡巡日記)←  1998年 5月 15日  →ダム日記398(素手と原爆)

∞∞ダム日記397(第十堰のワナ)∞∞

5月14日(木)
久しぶりにたっぷり休憩を取った。今日からしばらく、吉野川第十堰問題に取り
組む人々の応援に命をかける。

【吉野川】
四国徳島県で一番長い川。カヌーイストの野田知佑さんが「日本一美しかった。
上流に早明浦ダムができるまでは四万十川よりきれいだった」という川。空が大
きく見える川。讃岐平野を貫いて紀伊水道に注ぐ川。

【第十堰(だいじゅうせき)】
現在、固定堰がある。「洗い堰」とも言う。
川底に横たわった堰を、川の水がサワサワサワっと洗っていく。
ゴツゴツの洗濯板の上に水を流していく。そんなイメージだ。
「老朽化している」と建設省は言う。「改築しなければ」と建設省は言った。
それで、できあがった「改築計画」はちっとも「改築」ではなかった。
今あるものを破壊して「新築」するという計画になった。
長良川より巨大な可動堰(水を貯めるゲートが上がり下がり可動な堰)をだ。
しかし、住民はそのことを知らされなかった。

【吉野川シンポジウム実行委員会】
「第十堰改築って、一体、どうなっているんだろう」
すべてはそこから始まった。
代表・姫野雅義(ひめのまさよし)とその仲間達は、既存の堰の「改築」ではな
く巨大な可動堰の「新築」であることを突き止めた。「皆に知らせよう!」
その方法として、「シンポジウム」を開くことにした。
その時の「実行委員会」を、もちろん「吉野川シンポジウム実行委員会」と言っ
た。
活動はそれで終わりにならなかった。
「もっと皆で議論して一番いい結論を出そう」
活動は続き、「吉野川シンポジウム実行委員会」という名前は、そのまま活動の
団体名になった。長いので「吉野川シンポ」と私は呼ぶ。

【吉野川シンポを応援するわけ】
ダム日記を書き初めてすぐもらったFAXは、森口玄七さんという方からのものだっ
た。吉野川シンポの裏方に徹している方だ。
この森口さんに、これからしばらくのダム日記を捧げる。
ダムバスターとしての私の基礎を育てた人だからだ。
「情報を丹念に丹念に人々に知らせていけば、正しい者が必ず勝つ。見ててご覧。
情報はボディブローだ。ノックアウトはできないかもしれないが、相手の腹を目
掛けてパンチを何度も何度も食らわしていけば、いつか、どんな巨人だって倒れ
る日が来る。それがボディブローだ。情報はボディブローだ。楽しみにしてます
よ」
多くのことを教わった。この人がいなければ今の私はない。

【第12回 吉野川第十堰建設事業審議委員会】
吉野川シンポの冷静で公正なスタンスは、建設省でさえ認めた。
そしてついに、先日5月8日「第12回 吉野川第十堰建設事業審議委員会」に、日
本で初めて、市民団体としての「出席」が実現した。
ところが、これは、建設省のワナだった。(続く)

まさのあつこ

前号の訂正:
>ところで「像」は「象」ではない?
あ、そう。テヘッ(^_^;)。