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∞∞ダム日記402(老朽化する)∞∞

5月23日(土)
「ダム・堰にみんなの意見を反映させる県民の会」(その名前に会の性格が現わ
れているでしょ?)が、5月18日に吉野川第十堰の審議委員会に、「建設省の意
見だけじゃなく、僕たちの意見も、審議委員会で検討してくれ」と申し入れをし
たわけですが 、今日はその中から「老朽化」という論点を借りて、この問題を
少し解説します。

【今の堰は補修できないのか?】
今の堰とは250年前にできた堰で、修復されながら今に伝えられている。しかも、
たった30年から40年前までは青石を敷き詰めた美しい堰だったそうだ(見てみた
かった)。それが周辺で砂利採取をし過ぎて川底が下がり、青石が崩れだしたた
めに、建設省や徳島県がコンクリート張りにした。「それ」が老朽化していると
いう。老朽化しているから「新築」しなければという話になっている。

江戸時代から210年間、自然の素材を使って直して直して使ってきたものを、こ
こ数十年でコンクリートを使って「現代のお役所」がガタガタにしてしまった。
しかも、今はそれを「修復できない。新しく可動堰を!」と主張(^_^;)。。。不
器用なお父さんが時計を直そうとして壊してしまい、「新しいのを買ってやろ〜」
という図と似ている。

【ここからが不思議で不気味なところです(^_^;)】
古くなったら直せばいいという発想があるでしょ?それが「新しく作る」という。
よし分かった。だったら「古い堰」と「新しい堰」は同じ機能を持っていなけれ
ばならない。目覚まし時計の代わりは目覚まし時計。ところがね。違うんですよ。

二重、三重に違うんです。食い違っている。

●元々、川の分岐点で、支流(現在の吉野川)の方が本流(現在の旧吉野川)よ
り大きくなってしまい、農業用水を本流の方で確保するために堰を築いて、支流
の川底を上げて水を本流へ戻すのが目的だった。


●公聴会で「可動堰が必要だ」と言った「市民」によれば、洪水体験に基づき、
100年先、200年先を見すえた「洪水防止」のために必要だと言う。(ちなみに古
い堰が理由で洪水になったことは一度もない。しかし、公聴会でそう主張すると、
「第十堰が危ない」という世論作りになる。)徳島県知事も「人命と財産を守る」
を主張する。

「古い堰」(分流)と「新しい堰」(洪水防止)は目的が違うのだ。

食い違っているのは、河口堰を推進する人の頭の中(あるいは口先?)の「河口
堰(ダム)」の目的と堰の本当の意義。堰は水をせき止めるためにある。「洪水
防止」には邪魔な障害物だ。食い違ってる。

さらに食い違っているのは、建設省の推進理由。平成7年の建設省の技術報告書
によれば「現第十堰は、老朽化が著しく、吉野川下流部における利水機能の維持
が不安な状況にある。このため、堰の改築が必要となるが・・・(この他に他の
目的も加えている)」
つまり、建設省の主張する主たる目的は「利水機能の維持が不安」なんですよ。
だから利水に不安がなければ大丈夫という議論になる。老朽化すらも論点となり
えなくなる可能性もある。でも「県」を動かしてどんどん「第十堰危険説」に誘
導してきた。
勢い、市民との議論も、「今のままで第十堰は危険かそうでない」か、マスコミ
も「危険かそうでないか」という論争をしてきた。実際には、老朽化で、本当に
支障はあるのかという議論がまず最初に必要なのだ。

建設省本省の人が言っているのを聞いたことがある。
「今の堰はボロボロで直す必要がある。これは間違いないと思う」
彼はそれ以上を言わなかった。本省の人間はもちろん知っているのだ。
「本論から言えば、新しい河口堰はいらない」ということを。

そして、彼がそう言ったまでで、本当に修復しなければならないほどボロボロな
のかどうか、誰も立証していない。分かっているのは、93年に漁道を補修した以
外、過去15年間、まったく補修していない、ということだ。
「もし、本当に危険なら何の修理もせずにほったらかしにするでしょうか?」と
いうのは、『まんが第十堰』にでてくるセリフです。ほ〜んと、ほんと。

まさのあつこ