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11月16日(月)・・・463号(干潟へ行ったら)の続き。

【ネジレ関係って知ってます?】
「ネジレ関係」というのは政治家にとって、とても苦しいことらしい。
民主党は「藤前干潟問題において地元と中央でネジレている」。
同じ党に属していても、名古屋市議はゴミで干潟を埋め立てることに賛成。国会
議員(愛知選出以外)は、本心は保全すべしと考えている(無関心の人もいる)。


地元議員にとっては、中央の議員が「いい格好して自然保護」を叫ぶと、自分達
は格好悪くて立場がなくなると考えて苦しいらしい。国際社会や世論、党内から
も孤立してしまうのが苦しいのかもしれない。

一方で、正論を言う国会議員も、すっきりと「反対」と言える国会議員もいるが、
「地元が賛成しているのに」と遠慮する議員もいる。党内で割れてる、と見られ
るのが辛いらしい。変な人達ですね。「なぜ、党内で割れるのが嫌なのか」「な
ぜ」「なぜ」と一つひとつ、自分の中に沸き起こる「辛い感情」を解き明かして
いけば、「遠慮」なんかばかばかしいと分かるはずなんだけど、分からないのは
多分なんらかの損得勘定があるからなのだろう。

しかしやっと「意見は一つである必要はない」とはっきり言う議員も複数でてき
た。大きな一歩だ。助走が長かった。「ネジレ」をようやく乗り越えて、党とし
ての視察が実現した。それが11月4日だ。環境保護を看板に掲げる議員だけでな
く、ゴミ処理に関心のある厚生部会、埋め立て事業が領域の運輸部会が、一緒に
なって視察することになったのだ。ホッと安心。油断した。

【名古屋の藤前干潟へ行ってみたら海だったワケ】
名古屋市にハメラレタ。言葉悪く言うとそうなる。丁寧な言い方をすると、ベス
トコンディションで視察をセットしてもらえなかった。
長い話をはしょって言えば、うまく日程を組めば、干潟が見えている内に視察が
できたのに、そうじゃない時間に視察団は藤前に到着したのだ。
「今行けば、藤前干潟は0.7メートル海にかぶっています。干潮は11時49分でし
た」と視察のバスの中で、名古屋市の人がそう説明した途端に、「ヤラレタ」と
確信した。干潟が見えていた時間、私達はおめでたくも、昼御飯をあてがわれて
いた。
地元は国会議員視察団に「干潟」を見せたくなかった。私はそう確信した。
情報を隠された時と同じ種類の気持ちがした。これが、先日463号で少し言った、
この問題の本質を示すことの一つ。意図的な操作が、問題解決のための誠実な議
論をはばんでいる。

オマヌケな視察。

それに気づいたのは、実は11月2日だった。地元名古屋市で日程をアレンジして
もらうということになっていた。視察は祝日をはさんで4日。このトリックに気
づかされたので、「事務的」に日程を変えてもらおうとして失敗した。
こういう時は、事務的ではなく、政治的に変えなければならなかった。
いい教訓だった。議員に「なぜ僕に言わなかったか!」と怒られ、私は成長した。
議員が動くべき場、秘書が事務的に動くべき場、がまた少し分かった。
失敗をしながら、代議士と自分の役割を一つひとつ、覚えている。
一回、一回、失敗している。
落ち込まずに、やるしかない。
せめて、こうした失敗を書き残し、許しを乞いたい。

しかし議員達に干潟を見せるチャンスを失ったことは取り返しがつかない。
また、私が地元NGOと連絡をしなければ、議員はそのことにさえ気づかず、オマ
ヌケな視察だったことも知らずに今に至る。NGOとのつながりが深い自分の役割
を、私は自分が考えている以上に自覚しなければならない、と思った。
自分の能力を過小評価することはやめよう、と思った。
「人々とつながっていること」−それが私の最大の能力であり、それは環境と同
じで、一銭のお金にもならない。人には評価されにくいだろう。しかし私が永田
町へ持ってきた財産は、それだけなのだ。

まさのあつこ
P.S.「干潟へ行ったら海」だったことで分かったこの問題の本質はもう一つあり
ます。

とっくに取り込んでいたのに、発信が遅くなりましたm(_)m。