TOP 1-100 101 - 200 201 - 300 301 - 400 401 - 500
ダム日記490(腹減った)←  1999年 2月 14日  →ダム日記492(田起こし)

∞∞ダム日記491(思い出を拾って)∞∞

2月13日(土)
さて、あと1号くらいで森さんからの質問に答え終わりそう。生息なことばかり
書いて疲れたから、今日は息抜き日記。

【10年一昔】
自分が前に言ったことを、「あの時、あんなことを言っていた」と人に思い出さ
せられることがよくある。大概「そう?」って忘れてる。最近たて続けに、昔の
生徒や同僚にメールをもらった。懐かしい気持ちにさせられる。

かつて、私は「熱血先生」だった。英会話学校の先生だ。
どう熱血だったか。「諦めないで!夢はいつかきっと叶う!」と生徒に叫ぶ人だっ
た。私の最終学歴は「高卒」だ。靴屋や魚屋やウエイトレスや苺摘みや、20代前
半はそんな仕事で食べていた。友人のほとんどが大学へ行き医学や芸術を学んで
いる中で、朝から晩まではいつくばって7万円ほどの給料で生きて行くのは苦痛
ではないにしても、「いつか追い付けるのかなぁ」と焦る日々だった。胸が焼け
るような焦燥感は今でも思い出せる。確かなことは「自分で選んだ道」「どこか
へ辿り着く」という根拠のない自信があったこと。

ブレインワークをすることが夢だった。願わくば臨床心理学者になりたかった。
大学へ行かずにそんなことができる日が来るのか分からなかった。「学歴」の壁
は長い間、厚かった。ようやく英会話講師という社会にも分かりやすい肩書きを
持てるようになったのは20代後半だった。「やっぱり時間かかったなぁ」とひと
事のように思ったことを覚えている。初めて「名刺」をもらって眺めた時だ。
「それでも追い付いた」と思った。
それで、「夢はいつか叶う!」と叫ぶ人になった。
高校生には特に叫んだ。「何もしなければ何も始まらない。皆は若い。今からや
ればなんだってできる!ほんとよ。絶対できる」とか言っていた。おおいにだま
されて(?!)高校の時の夢を叶えた生徒も一人だけは知っている。また、人に
叫び過ぎた私自身、自己暗示にかかり、同時通訳者(ステップアップ)を目指し
てさらに転職し、通訳学校に通った。その頃には、学歴コンプレックスは生徒達
にすっかり癒されて「勲章」になっていた。「先生みたいになりたい!」と言っ
ていた女学生があと2人いたんだが、どうしているかな?ハンプティ、ダンブティ
。

今日はその頃週末に最もよく一緒に遊んだ元生徒、現在友人(それでもまだ「先
生」と呼んでくれる)からのメールを紹介してしまう。最近インターネットを始
めたとのことで、ダム日記を送り付けたらレスをくれた。

ほぼ10年前と同じ喜びを感じさせてもらった。この人は、英語も私の教えるまま
に実に単純に学び、あっと言う間に飛び級でクラスを駆け上がった。単純である
こと。これはとても頼もしい才能なのだ(ほめてるんですよ、ボブ)。

〜〜通称ボブのメール〜〜〜〜〜〜〜
今晩は!ボブです。
いつも難しい内容をユーモアの甘味料で飲みやすくしてあるメール楽しみにして
ます。

先生がこのまえ(何号か忘れたが)「少しでも政治に関心を持ってくれれば・・・
」と書いていましたが、おかげで今度の市長選挙には真面目に考えてみようかと
思い出しました。

というのも、自慢じゃないけどこの年になっても選挙には2回しか行ったことが
無いのだ!その2回も付き合いで頼まれたから・・・。いつも「どうせ誰でも同
じだから」とか「なんにも変わらないし」などと思っていました。

現実には全くその通りだろう(そう言えば吉野川の件「やっぱり」だったが・・・
)けど、「何かアクションを起こさなくっては、それこそなんにも変わらない」っ
て気に最近なってきました。

というのは、やはり先生の個人的な部分を少しなりとも知っているからだと思い
ます。
だって先生は「やりたい」って思うことは何とかしてやっちゃうみたいだし、(
もしかして失礼?)「なりたい」ってことも念じている内に少しづつではあって
も近づいていっているではありませんか!
(略)
じゃあ、「諦めてなんにもしなければ、絶対になんにも出来ない」って言葉を思
い出し、「選挙に行くか」ってなったのだ。

と、取りとめも無いくだらない内容になってしまいましたが、とにかく影響され
てますので今後ともヨロシクよい刺激を送ってください。
〜〜〜〜〜〜〜転載終わり〜〜〜

ふふふ。そんなわけで、吉野川の皆さん、私のかつての生徒は皆さんからもおお
いに学んだようです(^^)。きっと、沢山の人が全国で皆さんから学んでいるはず
です。生徒と私の分をまず有難うm(_ _)m。

まさのあつこ